彼らが胸に描くのは希望か絶望か:新しいフィールドで挑戦する者へ

4月になってから初めて夕方のおおね公園に走りに行ってきました。ランニングコースにはおそらく東海大学陸上部の選手が走っていたのですが、フォームがまだ固まっていない学生が多かったので、おそらくこの春から東海大学に入学する選手たちなのでしょう。

この中から箱根路で活躍する選手が出てくるのかもしれないと思うと、どことなく不思議な気分になりましたが、一方で「この子は無理じゃないかな」と思うような選手もいて、これから4年間はいいことばかりじゃないどころか、苦しい4年間になる可能性もある、残酷な現実の1ページを目にしたような気持ちにもなりました。

スポーツというのはどうしても勝者と敗者が出てしまいます。それもチーム内での争いもあります。陸上競技のような個人種目であっても、長距離の場合には駅伝があり、箱根駅伝の選手として選ばれるかどうかで人生が大きく変わってきます。


でも、東海大学レベルの学生になると、努力だけではどうにもならない才能の差が出てきます。しかも学生ですので知識もそれほどあるわけではありません。走りが乱れている若い子を目にして「こうしたほうがいいのにな」と思うことはありますが、きっとそれを自分で気づくことはないのでしょう。

もちろんコーチがいい方向に導いてくれる可能性もありますが、コーチの使命は可能性のない子の才能を限界まで引き伸ばすことではなく、チームが箱根駅伝などの大きな大会で結果を残すようにすることです。だから、必然的に才能のある子を中心に見ていくことになります。

そこで可能性のない学生が絶望せずにいられるかどうか。「それでも自分にだってチャンスがあり、継続し続ければ何かが起きる」と信じられるかどうか。コーチと呼ばれる人が本当に教えなくてはいけないのはそこなのですが、教える側もそんな余裕はないでしょうし、教わる側も耐えきれなくなるような気がします。


絶望せずにいられるのかというのはライティングの世界でも同様なことが言えます。いや、あらゆる業界が同じで、とにかく1人前になるまでにはどうしたって時間がかかります。「石の上にも三年」というのは決して昔の人の思い込みではなく、何かを習得するのには大抵それくらいの時間がかかります。

私はこの話をすると「そんなことはない、あの人は数ヶ月で結果を出した」と言う人が出てきますが、もちろんそういう人もいます。でもそういう人だって、まったくのゼロから短期間で成功したわけではありません。違うフィールドにしたって積み重ねてきたものがあるから、短期間で結果を出したように見えるだけです。

少なくとも才能だけでできることなんて、努力の積み重ねで簡単に追い抜けます。100年前ならともかく、現代において才能だけで天下を取れるようなフィールドはどこにもありません。そして凡人であっても、努力だけでそこそこの位置まで辿り着けます。


ただ、今の時代は何をするにしても結果が求められるので、目先の結果にこだわってしまいたくなります。マラソンや駅伝でそれをすると、体がまだできあがっていないのに無理をさせることになるので、大学を卒業してから、結果を出せないままケガを負って消えていくわけです。

もちろん学生ランナーにとって、大学駅伝は人生最大の挑戦であり、それが青春のすべてと言っても過言ではありません。だからどこかの識者のように「将来のことを考えて」なんてことは言いません。ただ、私がこれから新しい場所で勝負する人に言えることがあるなら、しぶとく粘るということだけです。

どの世界でも生き残りさえすれば、周りが勝手に脱落していきます。みんな継続できなくて、耐えられなくていなくなるというのが人類が繰り返してきた歴史です。結果が出なくても焦らず自分のペースで継続する。諦めなければ3年後には理想の自分にかなり近いところに近づけます。

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