札幌にはたくさんの寺院があります。おそらく日本各地から北海道に移り住んできた人たちが、自分たちの信じる神様や仏様を連れてきたのだと思います。それくらい当時の日本は信仰心があったということなのでしょう。むしろ神様や仏様がいることが生きるという意味だったのかもしれません。
ただ、すすきのよりも南側のエリアはあまりにも寺院が多すぎます。そして、昨日は初めて北海道神宮に行ってきました。私は神宮が苦手なことは何度かここに書いていますが、何も気にせずに入れる神宮はおそらく明治神宮だけ。北海道神宮は明治天皇が祀られているので、大丈夫かなと思ったのですが残念ながら。
あの神宮だけが持つ独特な圧迫感って何なんでしょうね。それはともかく、北海道神宮内にはいくつもの神社が並んでいました。北海道開拓時代に建てられたものを移設したり、開拓から時間が経過してそこでの働きを称えて建てられたもの、などさまざま。
そういう神社を見ていると、胸が締め付けられるような感情になります。これは開拓の歴史であり、それでいて侵略の歴史でもあるわけです。開拓と侵略は違うと反論されるかもしれませんが、そもそもは日本でなかった場所だからこその開拓であり、それ以前に暮らしていた人がいたわけです。
それ以前に暮らしていた、たとえばアイヌの人について私は知識を持っていないので、特別な感情を持っているわけではありません。でも間違いなくそこに暮らしている人がいて、その人たちが祀っていた神様がいたわけです。そこに日本の神様を連れてくる。
言葉を選ばずに表現すれば「厚かましいにもほどがある」話です。郷に入っては郷に従えという言葉があります。北海道に来たなら、北海道の神様を敬うのが本来あるべき姿です。たとえば満州に天照大神が祀られていたら、それはどう考えても不自然です。日本の寺院に関羽像があったらおかしいのと同じです(ちょっと違うかもしれませんが)。
今回の北海道はかなり普通に過ごしています。まだ生ビールを1杯も飲んでいません。朝から晩まで自宅にいるときと同じように仕事をして、そして毎日20km走っています。そうやっていると、旅行で札幌に来ていたときとは違った角度で物事が見れるようになります。
あえて、旅を切り離すようにしたわけですが、それによって得られたものがたくさんあります。ちょっとだけ札幌で暮らすビジョンも見えてきました。札幌の家賃相場は鶴巻温泉と変わりません。2万円で借りられる建物がいくつもありますし、5万円以下でかなり状態のいい物件もあります。
冬の札幌で暮らせる気がしないので、マンスリーで半年間だけ北海道というのもあり。ただ、気になるのはやはり八百万の神を感じられないこと。これは北広島にいるときから感じていたことで、でも北広島には土地に根付いた何かがいるように感じられました。
札幌にはそれをあまり感じません。でもここには開拓時代からの歴史があります。だから内心はかなり複雑です。確かにここには日本の歴史があります。ただここを日本だといい切れる歴史背景も持ち合わせていません。無知というのはこういうときに困ります。
札幌で暮らすとなると、もっとこの土地について学ぶ必要がありそうです。北海道が蝦夷であった、そのずっと前からの歴史。いつ着手できるかはわかりませんが、昨年北広島で暮らしていたというのも何かの縁なのでしょう。普通なら「神様に呼ばれた」なんて言うのですが、アイヌの神様に呼ばれたとできるほど図々しくはなく。
世界ではいまだに宗教がらみで争いが発生していますが、日本ではそのようなことが少なくとも目に見えるところでは起きていません。でも、それは決して何もなかったわけではない。札幌にいるとそういうことを強く感じることができます。それだけでも札幌に来たかいがありというものです。