栗山にて:僕らは開拓の歴史をもっと知る必要がある

昨日は北広島を拠点にしているラン仲間に、栗山を案内してもらいました。栗山は私が何度も「いいところ」としている長沼の隣に位置する集落で、侍JAPANの元監督である栗山監督が移住した町としても知られています。長沼との大きな違いは電車が通っているということでしょうか。

北海道で電車が通っているということは、歴史的に重要な場所だったことを意味します。たとえば鉱物が採れたり、多くの人が暮らしていたりする重要拠点になるわけですが、そういう意味では長沼よりも大きな町ということになります。

実際に行ってみると、長沼をひと回り大きくした感じがあり、居心地のよさがあります。訪れたのは開拓記念館で、札幌市内をウロウロしているうちに、やっぱり開拓時代についてもっと知らなくてはいけないという想いが湧いてきたというのが訪れた理由になります。


ただ、小さな町ではあるのでそこまで期待していませんでした。確かに施設はコンパクトだったのですが、1時間近くの滞在となりました。もし1人で行っていたら2時間くらいいたかもしれません。歴史好きとしては、そこはもう宝の山。

開拓時代から発展していく過程に触れることができ、学ぶことしかない空間。そこには無数の物語があり、ほんの少しだけ開拓の歴史を肌で感じることができました。そのあとに栗山の街を車で移動したのですが、だだっ広い平野が広がっており、これをすべて開拓したのだと思うと気が遠くなりそうでした。

栗山は夕張川が蛇行しており、頻繁に川が氾濫していたそうで、おそらくそれが肥沃な土地を作り出したのでしょう。開拓初期から稲作に適していたとのこと。稲作は日本の歴史でもあり、お米は日本人にとってはなくてはならない食材のひとつ。それに適しているというだけで人が集まってくるわけです。


最初の開拓者は7世帯24名だったと記憶していますが、何もなかったところに集落を作り、そこから冬の寒さにも負けずに町を広げていく。それはとんでもない努力であり、多くの犠牲をともなったはずです。そしてその裏にはやはりアイヌの歴史もあったはずです。

日本の歴史は稲作の歴史でもあるのですが、もし北海道がアイヌの土地のままだったとしたら、きっと栗山は集落になることもなかったのでしょう。そこは広大な森であり、いくつもある狩猟地のひとつのまま。もしかしたら、今でも未開の地だった可能性すらあります。

開拓が進む前にどんな姿だったのか、それは歴史を学ばないとわかりません。もちろん想像することはできますが、その想像の精度は知識が影響します。もし北海道に定住する日が来たなら、それを追求するような日々を過ごすことになるような気がします。


こんなにも興味深いのに、まだ北海道の一部しか見ていません。きっと生きている間にその全貌を知ることもないのかもしれません。でも、ちょっとずつ北海道に関する知識を増やしていき、ここを開拓した人や土地を奪われた人たちにスポットライトをあてるような文章を書いてみたいところ。

なんとなく北の大地の水が合っているような気もしています。ただ、いまは都内での取材が多いので簡単に北海道で暮らすなんてことは言えませんが、まずは北海道と鶴巻温泉の2重生活ができるくらいに稼ぎたいところ。それにはまだ数年かかりそうですが。

きっと長沼や栗山のような場所が、北海道にはまだまだたくさんあります。道東に関してはまったく無知。函館さえ行ったことがないわけです。できれば1年くらいかけて北海道を歩き回りたいところです。そんなことを考えるようになるなんて1年前は想像もしませんでしたが、しっかりと北海道にハマっているようです。

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