北海道の小さな歴史を積み重ねる:乾いたスポンジのように知識を吸い込む

昨日はライティングの仕事があったので、ゲストハウスからあまり移動せずに仕事をしていました。ただ、中島公園にある豊平館や北海道立文学館に行けるチャンスが昨日だけだったのもあり、ランチタイムを利用して訪問してきました。

豊平館がどういう建物か知りませんでしたし、北海道の文学についても考えたこともありません。だから私はこのいずれに対しても無知な状態であり、どちらも新鮮な驚きの繰り返しです。北海道には大きな歴史がほとんどないというのが私の印象なのですが、今回くらい滞在していると小さな歴史を少しずつ知ることになります。

豊平館は明治天皇が宿泊されたということで、私の歴史館の中に初めて「明治天皇」が入ってきました。もちろん存在は知っていましたし、明治神宮には行っています。北海道神宮に祀られているのも数日前に知りましたが、脳内では歴史上の人物ではありませんでした。


何をした人なのか、言動を物語としてイメージできないので、存在はしていてもまさに「象徴」でしかありませんでした。でも、大東亜戦争以前の天皇陛下は象徴ではなく神であり、現代を生きている私によっては、どういう位置づけだったのか、どんな感情で迎えられたのかを明確にイメージすることができないわけです。

でも、そんな明治天皇が宿泊されたとなると、一気に現実味が出てきます。そして北海道を開拓することと天皇制の意味がつながっていき、やはりこの国は稲作の国なんだと実感しました。領土を広げる理由が、稲作を広げるためだったいう国は、世界的にも日本だけではないでしょうか。

満州も台湾も、稲作できる土地を求めていたわけです。稲作をしたいから領土を広げる。農耕民族は比較的温厚だというイメージがありますが、実際には狩猟民族よりも過激、もしくは執念深いのかもしれません。日本の国力の低下とお米が重視されなくなった歴史が重なるのは偶然ではないはずです。


北海道文学というのも考えたこともなかったのですが、もちろん北海道にゆかりのある作家はたくさんいて、北海道の厳しさを作品としていくつも残しています。知らないというのは恐ろしいもので、そこにあっても目に入らないわけです。

北海道文学は昨日になって急に目の前に現れたわけではありません。ずっと近くにあったのに、知識として意識したことがなかったから、存在しなかったことになっている。きっと北海道に対して見えていないことがまだまだあるはずです。

それを不幸だとは思いませんが、気付けないまま歳を重ねていくこともあると思うと、もっと好奇心を大事にしなくてはと思います。知っているだけで物事の見え方がまったく変わってきます。物事を見るときに、できるだけさまざまな角度から見るように心掛けていますが、無知だとそれにも限界があります。


北海道について知らないことばかりで、いまは驚きの連続です。そして知識がゆっくりと自分の中に染み込んでいくのがわかります。48歳になってまだ学ぶことがたくさんある。ありがたいことでもあり、これまでの不勉強を反省もしています。

歴史を学ぶことは未来を創ることでもあります。もっとたくさんのことを学び、感性を磨いていく。その先に何が待っているのかはわかりませんが、少なくとも私は学ぶことが好きで、今回のように小さく学びを積み重ねることで自分が変わっていくのを実感しています。

この学習意欲が若い頃にあれば、また違った未来が待っていたのかもしれませんが、今の年齢だから見えてくること、感じられることもあります。学び始めるのに遅いということはありません。人生は最期の1日まで学びの連続ですし、ここからさらに北海道について深く勉強していくとしましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次