サービス業の限界:質を求められすぎている

フルキャストの仕事で、宿の掃除バイトをしてきました。部屋の掃除かと思ってたのですが、大浴場とフロアの清掃。そりゃそうですよね、能力がわからない人に客室を任せるなんてできるわけがありません。私だって同じことをします。

でも浴室の掃除が楽というわけではなく、それはそれで大変です。一本のえんぴつに大浴場がなくてよかったと、今さらながら思うほど。慣れていないのもありますが、大浴場の掃除はどこまでできていればいいのかわからないという難しさがあります。

とりあえず無難に終了しましたが、同じ案件があっても、アクセスを考えると他の仕事を優先するかもしれません。近所に他の仕事がなければ、またやりたい仕事ではあるのですが。やりたいというより、私でもできるという方が正解かもしれませんが。


宿の仕事というのは想像以上に疲弊します。担当してくれたスタッフさんを見ていて、それを思い出しました。やることが多く、それでいていつも時間に追われています。そんなのが365日続いて、ちょっとしたことでお客さんにクレームを受ける。

それなりのスルースキルを備えていたり、マイペースを貫けたりしない限り、長く続けられる仕事ではありません。そんなストレスを感じている人が、何万、何十万人もいるわけで、これでは宿泊業の人手不足は永遠に解決しません。

なぜこのようなことになっているのでしょう?本来なら仕事というのは、自分の持っている能力の範囲内で、淡々と続けていけるのご理想。特別に頑張るのではなく、1日の仕事を終えて、程よい疲労感があるくらい。でも、宿泊業はそうではありません。


いや、日本の労働者の多くが、「程よい」を超えた疲労感を日々積み重ねています。かつて「24時間戦えますか」というキャッチコピーがありましたが、栄養ドリンクを飲んで働き続けるのがこの国のデフォルトという時代が長く続きました。

今では働き方改革の影響もあって、1日8時間労働で残業もないみたいな会社も増えてきました。でも、人が会社にいる時間が短くなれば、会社の外で働く人たちに負担が増えます。いわゆるサービス業の人たちですが、その負担がそろそろ限界にきています。

仕事探しをしていると、ある紹介サイトでは警備と介護の仕事ばかりが出てきます。介護にいたっては「未経験者OK」となっています。介護施設を使う人は増えているのに、介護できる人が限られている。でも、上京を改善できるきざしはまったくありません。


国のことをあれこれ言うつもりはありませんが、国のあるべき形をデザインし直すタイミングのような気がします。いまは自由という名目に押され、各自が好き勝手にやっていますが、そのやり方はそう遠くないうちに破綻します。

社会が破綻しようが、私は生きていく必要があるので時代の流れに合わせて働き続けます。でも、それすら許されないとしたら。ありえない話ではなく、現実として起こり得ます。サービス業は人が足りておらず、多くの人がストレスを抱えている。

そんな状態で本当のサービスを提供できるのか。いや、これ以上サービスを求めることが問題であり、もっと個々の負担を軽くすべきなのかもしれません。ただ「おもてなし」みたいなどうしようもない言葉を掲げる人がいるこの国では、サービスの質が下がることなんて許されないのでしょうけどね。

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