ひとつの才能:名選手が名監督になるわけではない

世の中には仕事ができる人とそうでない人がいます。正確には仕事と相性がいい人とそうでない人です。仕事ができないと表現するのは、今の時代の表現としては適切ではありませんし、仕事ができないという表現がネガティブなイメージを与えてしまいます。

仕事ができないことなんて、人生において大したことではありません。仕事でミスを積み重ねるような人でも、家族を守ったり、誰かを支えたり、経済を回していたりします。この世界に必要のない人などいません。とはいえ、いろいろな仕事をしていると、仕事と相性が良くなくて大変だろうなと感じる人によく会います。

勘違いしないでは欲しいのですが、別に私自身が仕事が得意だとか自慢したいわけではありません。でも、大抵の職場ではそれなりの評価をしてもらえますし、いつの間にか人を動かす役割になります。何をすべきかを、即座に判断できるからなのでしょう。


どこでそのスキルを身につけたのかは分かりません。持って生まれたものなのか、それとも経験によるものなのか。いずれにしても、集団で仕事をするとなると、周りよりも半歩だけ前に出ています。ところが、世の中には前に出るべきではないのに前に立たされる人がいます。

たとえばアスリートがそうで、それなりの経歴がある人は、その実績だけで人前に立つことになるのですが、もちろんいきなり人を動かせたり、引っ張ったりできるわけではありません。オリンピックや世界選手権に出た人も仕事と相性がいいとは限りません。

そのレベルの人になると社会人経験がほとんどないというのも影響しているのですが、それ以上に周りが持ち上げるから間違った判断をしても正すことができなかったり、そもそも間違った判断をしていることに気づかないことも珍しくありません。


名選手が名監督とは限らないというのはよく言われていることですが、ランニングやマラソンの世界では、名選手がいろいろ自分で企画を立ち上げたり、チームを作ったりすることが珍しくありません。でもやはり名プロデューサーになれるケースはほんのひと握り。

個人的にはランニングイベントは、運営の中で顔になる存在と軸になる存在はわけたほうがいいと思っています。有名人や実績のある人は集客力があります。経験値も高く、面白い話もできます。でも、「トラブルを想定する」という部分においては、別に優れた人に任せたほうが上手くまわります。

ただそうなると、顔になる人は自分の思い通りにできないストレスができますし、きっとどこかで仲違いする可能性が高くなります。たとえそうだとしても、餅は餅屋であり、周りがちやほやしてきても冷静に自分のスキルを判断して、分業するスタイルのほうがいいような気もします。


私はどんな運営はワンマンが理想だと思っています。それはどの組織も同じで、圧倒的な存在の1人が組織全体を引っ張っていく。そしてその人がすべての責任を取る。それができれば、大抵の組織は上手くいくのですが、今の時代にそのような組織を期待するほうが無理があるのかもしれません。

私はいろいろな職場を体験していますが、ときどきもどかしい思いをすることがあります。1人の労働者なので、できるだけ出しゃばらないようにしているのですが、どう考えても「それはよくない」と言いたくなることが多々あります。でもその言葉を飲み込むわけです。

もちろん、言葉にすることもあります。そして結果的に半歩前に出てしまうのですが、私は組織で人を引っ張りたいタイプではありません。居ても立っても居られなくなり、また出しゃばってしまったと反省するというのを繰り返しています。そろそろこの性格をなんとかしたいところですが、生涯同じことを繰り返すような未来予想図しか見えません。

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