疲労抜き:失敗したからこそ今の自分がいる

24時間裸足チャレンジに向けて、練習量を半分にしています。本当はゼロにしてもいいのですが、そうすると体重計に乗るのが怖くて。でも今日は完全ノーランにするつもりです。裸足で130km以上走るなら、1日くらい休んだところでどうということはありません。

そんなことを言いながら40kmも行かないうちにやめてしまう可能性もあるので、あまりビッグマウスにならないように気をつけます。久しくフルマラソン以上の距離を走っていないので、正直なところ不安しかありません。

1年前は「もう旅ランはできないかも」なんて思っていたことを考えると、決して悪い状態ではありませんが、蓋を開けるまで結果がわからないというのは、不安や迷いにつながります。自分で言うことではありませんが、意外と繊細なんです。


ただ、24時間裸足チャレンジがなくても、そろそろ疲労抜きは必要でした。とにかく体重を落とすためと、毎日20km以上走っていたので、ここ最近はジョグのペースが上がらなくなっていました。こういうときは休むしかありません。

マラソンを始めたころは、この見極めが下手で、当然のようにケガをしました。結果として裸足ランニングに出会えたので、まさに怪我の功名ですが、本当ならケガをしないのが理想です。ケガをしていなければ今の自分がないと思うと、心情としては複雑ですが。

人間は痛い思いをしないと学ばない生き物です。喉元過ぎれば熱さを忘れると、昔の人が言いましたが、人間の本質はいつまで経っても変わることはありません。ケガをして、たくさんのことを学び、そしていま疲労抜きを意識できるようになったわけです。


気合いと根性だけではどうにもならないことがあります。いや、気合いや根性は有効ですが、正しく使う必要があります。気合いや根性は痛みを耐えるために使うのではなく、オーバートレーニングを防ぐために使わなくてはいけません。

1日走らなかったことに対する不安を気合いと根性で抑え込む。反対にやらなくてはいけないトレーニングがあるのにやる気が起きない。そういうときにも、気合いと根性で着替えて走りに出る。気合いや根性は肉体を酷使するために使うのではなく、メンタルをコントロールするのに使います。

メンタルと肉体を混同させてはいけません。心と体は連動していますが、精神が肉体を凌駕した瞬間に、肉体は破滅へと向かっていきます。そのときは無敵状態なので、思わぬ結果につながることもありますが、限界を超えた肉体は耐えきれず壊れていきます。


若いころはそんなことも知らず、ただ気持ちですべてを解決できると思っていました。でも肉体に衰えを感じるようになってから、それは幻想だということに気付かされました。肉体はその肉体の許容範囲を超えて動かしてはいけません。

そして許容範囲を超える前に休ませること。崩壊した肉体を再構築できるほど、ランナーとしての私に残されている時間は多くありません。だったら24時間裸足チャレンジなんてしなければいい?それはもっともなんですが、愚問でもあります。

男には、人生をかけてやらなくてはいけないことがあります。使命のようなもの。私にとっての24時間裸足チャレンジがそのひとつ。もちろん「今の自分にとって」というのが前提ですが。気合いとか根性とか、そういう話ではなく、自分が自分であるために明日、スタートラインに立ってきます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次