「成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、出来る体に生まれる事が大前提」
400mハードルの日本記録保持者、為末大さんのツイートです。このつぶやきがちょっとした騒ぎになっている。twitterというのは限られた文字数でしか語れないから、この発言の真意は定かではないが、これを読んだ人の多くは「努力は報われる」を否定しているという解釈しているようだ。そして、その発言に対する批判で為末さんのTwitterが「炎上」しているそのだとか。
行き過ぎた努力主義が、努力した人を苦しめるているというのが為末さんの持論だ。努力すれば夢が叶うのであれば、夢が叶わなかったら努力が足りなかったということになる。そして、そんな自分を呪って生きてくことになるのだとか。
はっきり言えるのは、まず為末さんの考えるレベルの努力というのは、おいらたち常人の努力とは次元が違う。自分を呪わずに入られないほどの努力をしたことのある人が一体どれだけいるのだろうか。オリンピックに出るような選手の努力というものは、おそらくおいらたちの想像の範囲をはるかに超えているものなのかもしれない。猫ひろしがカンボジア国籍を取得してオリンピックに出場しようとしたときに、有森裕子さんが涙ながらに猫ひろしを批判したのも、そうした努力を否定されているように感じたからかもしれない。
才能がなければトップアスリートとして成功しないのは事実。それは身体能力だけではなく技術習得能力であったり、心の強さであったりするわけだ。適正がなければどのスポーツでも飛び抜けた存在にはなれない。それはスポーツだけじゃない。IQなんてものがあったが、持って生まれた頭の良さというものもある。誰もが努力さえすればハーバード大に入れるわけじゃない。容姿もそうだ。誰もが努力すればアイドルになれるわけじゃないし、モデルや俳優になれるわけでもない。むしろそれらの世界で最低限の才能を持った人だけがスタートラインに立てる。
それとは逆にこの国でもてはやされてきた言葉がある。「天才は1%のひらめきと99%の努力」この言葉に多くの人が励まされてきた。努力なくして天才は生まれない。努力だけでは成功できないことはわかっていても、建前としてやはり努力の大切さをこの国の人たちは大切にしてきたのだと思う。そしてその力が戦後からの高度経済成長となり、アジアの小さな島国が世界に影響を与える国になる原動力となったことは言うまでもない。
高校で数学を学んだ人の多くが三角関数や微分積分で苦しんだと思う。こんな社会に出てもなんの役にも立たないことを勉強してなんの役に立つのか。そんなことよりも投資でも学んだほうがよっぽど有意義じゃないだろか。でも実は数学というのは社会に出て役に立つかどうかなんてそれほど重要じゃない。数学は実用的な学問ではなく、論理的な思考を鍛えるためのトレーニングなんだとこの歳になってようやく理解できた。
努力もそういうものだ。その結果オリンピックに出れなかったり、プロのアスリートになれなかったからといって努力に意味がないわけではない。確実にその人の人生を豊かにしてくれているし、人としての器を大きくしてくれている。努力しても無駄だからと何もしなかった人生とはまったく違う生き方ができているはずだ。それはもう成功と言っていいのではないだろうか。夢が叶うことが人生において重要なのではない。夢に向かって努力し、その過程で得たものが大切なのだ。
「努力の先に誰もがうらやむ成功がなくても、得たものは必ずある」
だから努力することをやめないでほしい。おいらたちが手にすべきものは金メダルではなく、もっと先にあるものなのだから。
コメント