W杯直前なのにまったく気持ちが盛り上がりません。金曜日深夜に行われたスイス戦はキックオフまで耐えたものの、1分も記憶のないまま見事に寝落ち。今日はパラグアイ戦ですが観るのを忘れてしまいそうです。
気持ちが盛り上がらないのは今回の日本代表のゴタゴタが関係しているというわけではなく、サッカーに対する情熱のようなものがほぼゼロに近い状態になっているような気がします。
これまでのW杯を楽しめたのは、曲がりなりにもサッカーで食べていこうとしていた人間でしたので、その熱が幾分残っていたのでしょう。前回のW杯の1年後に会社を辞めて独立し、ランナーとして生きています。
背水の状況で走ることに情熱を向けた結果、過去の未練をようやく断ち切れたのかもしれません。
人間が持つことができる情熱は無限大ではありません。何かに気持ちを向ければ、それ以外は当然疎かになります。もちろん人それぞれキャパシティが違いますが。
かなり大きな情熱を持てる人もいれば、わたしのようにお猪口一杯分くらいの情熱で溢れてしまうという人もいます。お猪口一杯分しか情熱を持てないならどうするか。わたしの答えは「あれもこれもは手を出さない」です。
今は情熱のほぼすべてを走ること関係に傾けています。それくらいしないと、才能あふれる人たちに圧倒されてしまいますし、この世界で自分という存在を知ってもらうことができません。
会社を辞めてこの9月で3年経過しますが、その間にずいぶん常識のない人間になっていました。
直近で2回もプロ野球を観に行きましたが、知っている選手の名前が半分もありません。ラン仲間の家で久しぶりにスポーツ以外のテレビ番組を見ましたが、芸人さんの顔と名前がまったく一致しません。
3年前からプラスされた知識はランニングに関するものと、最近よく聞いている乃木坂46の曲くらいでしょうか。とにかく入ってくる情報を徹底して絞っています。
たぶん、他の人からすれば「何が面白くて生きているのだろう」と思うかもしれません。ただ毎日走って、毎日2万文字を書き続けるだけの日々。趣味を持たずに、熱狂する相手もいないわけです。
しまいには過去に情熱を傾けていた世界に興味を持てなくなっているわけです。
でも昔の偉い人は諸行無常という言葉を残しました。変わらないものなんてどこにもありません。あらゆるものは変化し続けているから、過去の自分と同じ自分である必要なんてどこにもありません。
細胞レベルですら、2年ですべて入れ替わっているわけです(もちろんそれは嘘ですが)。
情熱を傾ける対象も変われば、ライフスタイルだって変わっていきます。もちろん好きな女性のタイプだって常に変わります(いつの日か浮気をするための予防線ではありません、たぶん……)。
自分の中で絶対に譲れない部分だって、数十年後には笑って許しているかもしれません。だから、自分はこういう人間だと決めつけるのはあまり好きではありません。自分に対しても周りの人に対しても。
「士別三日、即更刮目相待(男子三日会わざれば刮目して見よ)」という言葉が好きでいつも意識しています。いまだそのような劇的な変化をした経験はありませんが、「変わったね」と言われる自分でありたいとは思っています。
自分がそうなんですから、周りの人だって何かをきっかけに大きく変わる可能性があります。だから、できるだけ人と会うときは今の状態を見ようとします。
今日の彼は昨日までの彼とは違うかもしれず、色眼鏡で見ているとそれに気づけません。
ただ、必ずしもいい方向に変わっているとは限らないのが人間の面白いところです。心の黒い部分に足を踏み入れてしまう人もいれば、明らかに方向性を見失いながら大きく跳ねる人もいます。
それもまた人生。まっすぐきれいに上昇なんかしてしまったら、厚みのない薄っぺらい人間になってしまいますから。自分も周りの人も常に変わっている。わたしはそれを楽しめる人であろうと思います。
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