「お前が心配なのは、馬だけだな」
「いけませんか?」
「いや、それでいい」
岳飛伝16巻での岳飛と馬匹の単琅のやりとりです。偽装のために2千頭の馬を岳飛の元に連れてきた単琅が馬の心配をしたときに、岳飛は「お前が心配なのは、馬だけだな」と言いました。
このたった3行が北方水滸伝シリーズの中で1番好きです。
男は自分がやるべきことだけやっていればいい。この会話の中にそんな想いが込められています。言葉にしないからこそ伝わるメッセージと、余計なことをなんでもしたくなる自分への戒めが重なって、ずっと心に残っています。
自慢するわけではありませんが、わたしはそこそこなんでも上手くやります。ただ器用貧乏というやつで、何一つとしてものになっていないというのも事実です。
できるからやってしまいますが、やってしまうから本当にすべきことができなくなってしまいます。
本当はあれもこれもしないほうがいい。あれもこれもするのは自分の道が定まっていないからです。真っ直ぐ進むべき道だけを見ていれば男はそれでいいんです。(いつものことながら)女のことは知りませんが。
自分のやることが決まっていて、そこに集中できていれば世界情勢なんてどうでもいいことですし、いま世の中で何が流行っているかなんて気にする必要もありません。
スマホの中にたくさんのアプリを入れなくてもいいですし、知らないことがいくつあっても構いません。自分がいるべき場所において必要なものだけを持っていさえすれば、無知は恥ずかしいこともでもなんでもありません。
知らないものを知らないと言える潔さ。
わたしはまだそこまで到達できていませんが、この最近の不要なものを削ぎ落としている状態が落ち着いたときに、恥じることなく「知らない」と言えるような気がします。
そして「お前そんなことも知らないの?」と言われたときに「いけませんか?」と返せるといいですね。「いや、それでいい」と言ってくれそうな人がいなさそうですが。
情報化社会が進んで、「知っている」ということにほとんど価値がない時代がやってきました。わたしが小学生くらい、バブル期には情報は権力でありお金でもありました。情報を持っている人間が強い時代。
でもいまはインターネットを使えば、大抵のことは調べることができます。このため、情報そのものよりも情報を上手に引き出せる人が重宝されます。知らなければ調べればいいいだけです。
時代はどんどん「持たない」方向へと進んでいます。物理的にも精神的にも。だからわたしも、どんどん削ぎ落として、最終的に自分に何が残るのかを知りたい。
今はなぜかそんな気分で、取り憑かれたようにあれもこれも手放しています。手放すために手に入れたものもあるので、本末転倒な部分も否めませんが。
いずれにしても、今は自分がすべきことだけをしていればいいかなと。
物書きと万里の長城マラソンとランニング、それに人との繋がり。それ以外の枝葉末節をいかに切り離していくか。それがわたしにとっての当面の課題です。
枝を1本切るのにいちいち躊躇しているような状態ですが、このまま続けていけば必ず無駄のない自分になれるはずです。
もっとも目指すべき場所にゴールなんてなく、永遠に削り続けるのかもしれませんが、それもまた人生。必要ないものに囲まれて無駄に大きくなっていくよりはよっぽどいい。
物理的なミニマリストにはなれそうにもありませんが、せめて心だけでもミニマリスト。
著者:堀江 貴文
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