昨日のブログであえて書かなかったことがあります。それは24時間テレビのギャラの話です。結論から言えば、ギャラなんか別にどうでもいいだろうということ。
チャリティ番組でギャラをもらって…なんて話になっていますが、24時間テレビなんて民間の放送局が行っているチャリティバラエティ番組なのですから、好きにさせればいいんです。
オリンピックでサマータイムを導入するという話に怒っているというのは、自分に実害があるから声を上げているわけで、そういうのは個人的に好きではありませんが理解は出来ます。
自分に実害があるわけでもないのに、どこかの誰かがちょっとずるいことをしていることにまで、目くじらを立ててる暇なんてないはずです。わたしたちに与えられた時間は有限で、砂時計の砂は刻々となくなっているわけです。
いやいや、誰かが言わないといけないと正義を振りかざすなら、自分でテレビ局を立ち上げるなり、テレビ局の社長の座でも狙えばいいんです。そして、しかるべき立場になったときに正しいと思うことをすればいい。
以前、カンブリア宮殿の撮影に行ったときに、経団連の会長が来て「派遣社員の権利を守る」的なことを言っていたので、わたしは質問用紙に「派遣の今の状態が不満なら、自分で会社を起こせばいいだけだと思うのですが」というようなニュアンスのことを書きました。
実際に質問するメンバーに選ばれたのですが、収録時間の都合でそれを質問できないままになっています。
わたしは権利を主張するというのが嫌いです。自分が主張するのも、誰かに主張されるのも。契約というのも嫌いです。そこに信頼関係がないことを認めているようで。
このあたりがわたしにビジネスの才能がないという理由なのでしょうが、そもそもお金儲けしたいとも思いませんし、お金なんて道具でしかないと思っています。
もちろんあるに越したことはありませんが、フリーの身になって収入が激減して感じたのは、必要最低限のお金があれば面白おかしく生きていけるということです。
会社員時代やフリーで機械設計をしていたころは、それなりに収入がありましたが、それに見合わないくらいのストレスがありました。企業の中で働くときは歯車のひとつでしかありません。
でも、フリーになればストレスはほとんどありません。老後に達成するはずの五街道制覇も40代の前半で終えました。
とにかく貧しいですが生きてはいます。会社で働いていたときのように衝動的な買い物はできません。iPhoneもいまだに5Sを使っています。でも自由です。
芸能人というのは不自由の最たるものだとわたしは思っています。私生活はほとんどありません。デートをすれば週刊誌に撮られるわけです。口が滑ったら干されるわけです。
そんな特殊な世界で働いている人たちが、ギャラをもらおうが何しようが好きにすればいいと思います。それでチャリティ番組として成功するならいいんじゃないかと思うわけです。
腹が立つなら見なければいいんです。触れなければいいんです。繰り返しになりますが、わたしたちには時間がありません。イライラするようなものを見る必要もなければ、関わる必要もありません。
そんな時間は1秒でも自分のやりたいことの時間に使うべきです。自分のやりたいことが、テレビ局批判なのであれば自由にすればいいと思いますが、個人的には美しくないその行動は嫌いです。
24時間テレビのマラソンをみて「あぁいう危ないことはしないほうがいい」と自分の戒めに使うならいのですが、それを口実にテレビ局を叩く人を見ていると、やるせない気持ちになります。
人の振り見て人の振りは直せません。他人は他人で、自分の意志では動かすことはできません。自分で変えられるのは自分だけ、違法なことをしたのでなければ他人なんて放っておけばいい。
本当に悪いことをしているなら、いずれその人は勝手に地に落ちます。悪事を続けながら飛び続けられるほど世の中甘くありませんから。
著者:マイケル・サンデル
楽天ブックス:それをお金で買いますか 市場主義の限界 (ハヤカワ文庫NF ハヤカワ・ノンフィクション文庫) [ マイケル・J.サンデル ]
コメント