いただいた消費税をすべて還元するなら、最初から集めなかったらいいじゃないかと思うんですが、政治の世界はなかなか複雑にできているようです。
政治と宗教の話はタブーと言われてますが、ツッコまずにはいられない関西育ちなので本当はボケのほうが好きなんですよ。でも周りに天才的なボケをする人がたくさん居すぎてですね。
中学時代は、他の子と同じように「よしもとに入る」って言っていたクチです。高校時代からは森脇健児さんにハマってしまい、そしてテレビに出る人の偉大さが分かるようになって、お笑いを目指したいなんて言わなくなりましたが。
わたしが関東に出てきたのはサッカーをするためでしたが、森脇健児さんの東京進出が与えた影響は大きかったかもしれません。あの時代に大阪から東京に行くのは進学であってもチャレンジでしたから。
わたしが通っていた箕面高校は公立高校で学区では上から4番目。半数以上が浪人をして翌年に関関同立を目指すというタイプの進学校でした。関東の大学のビデオテープなんかもありましたが、わたしの学力で受けるようなビデオテープは全部未開封。
わたしの学力というのは、悪いほうでの意味です。
高校の実力テストでは学年の後ろから3番目くらいでしたので。英語ができなさすぎて、1年から2年まではすべて赤点です。他の教科も勉強をしないからできるわけもなく。
でも、なぜか授業にはついていけるんです。先生の言っていることは全部理解できるのに、テストができない。だから、自分よりも成績のいい人に勉強を教えたりしていました。
とはいえ進学できる大学も基本的にはどこもなく、偏差値の低い方からいくつか受験という形でした。それでもD判定が1回出たことがあるだけで、あとはぜんぶE判定。
そういうのをリセットしたいのもありました。関西でこのまま埋もれるのは嫌だと。
それで、森脇健児さんを追うように関東に来たわけですが、周りの環境に慣れて落ち着いた頃には、すでに森脇健児さんは東京での仕事がなくなり京都に引き上げていたわけです。
「騙したな」と思ったのですが、苦情を申し立てる相手もおらず。
ただ感謝はしています。関西にいた頃の閉塞感からは完全に抜け出せていましたので。高校時代、1年のころは完全に浮いた存在で、いわゆるイジメを受けている状態でした。
それでも一部の人は仲良くしてくれましたし、わたしにはサッカーがあったので、クラスのことなんてどうでも良かったわけです。だから、勉強もしなかったわけですが。
でもサッカー部のメンバーと仲が良かったかというとそうでもなく。基本的には単独行動ばかり。でも、サッカーにはどっぷりハマりました。練習のない休日には、当時大阪を代表するチームだった北陽高校の試合を観に行ったり、大学リーグを観に行ったり。
自分の目標がはっきりしていたので、つるむ人がいなくても気にすることもなく、むしろ1人であることを楽しんでいました。
今でも1人でいるのは好きです。誰かといると気を使ってしまうので。気を使うのが嫌いじゃないんですが、それを続けていると相手が調子に乗るのが嫌いでして。
だから基本は1人で、たまに気の合う仲間と一緒にいることができれば十分満たされます。
なんかいろいろ繋がってるんだなと、変なところで感心してしまいました。10代の頃の自分と、今の自分なんて細胞レベルで考えても、何ひとつ同じではないのにずっとつながっている。
あの頃描いた夢には届かなかったのですが、年齢的にはあの頃描いた夢の先の世界を生きています。
夢を追いかけた、誰かを追いかけた過去があるから今がある。上手くいったことも上手くいかなかったことも全部が繋がっています。
ということは今していることは未来に繋がるわけです。5年後、10年後の自分の姿をイメージすることはできませんが、今よりも笑いジワが深くなっている自分でありたいなとは思います。
そのために何をすればいいのかなんて難しいことは考えず、とりあえず毎日笑って過ごすとします。あんまり器用に生きられるタイプでもありませんし。
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