なぜか意外と言われることが多いのですが、わたしは面倒なことが嫌いです。おそらく、普通に考えられる「嫌い」を遥かに超えて嫌いです。
その割には何をするにしてもコツコツやるじゃないかと思うかもしれませんが、めんどくさがりが究極まで行くと、「コツコツ継続する」になります。
わたしは勉強も嫌いです。高校時代は勉強をしないでサッカーばかりしてたので、実力テストで学年で後ろから3番という名誉ある順位をいただいたことがあります。
そんなわたしが、なぜか湘南工科大学に特待生で入学し、上位5%(だったと思う)に入れば、翌年の学費が免除されるという状況になりました。そうなると勉強せざるを得ません。
でも勉強は嫌いです。やっぱりサッカーばかりしたいわけです。サッカーをするために関東の大学に来たわけですから。そこで考えたのが「毎日コツコツ勉強する」ということでした。
テスト前になって詰め込んで勉強するから嫌になるのだから、嫌いなことは分散したほうがストレスにならないというわけです。なので、大学の授業は1回も休んだことがなく皆勤賞です。
勉強しなくてもいいように、すべて授業の中で理解するようにつとめました。できの悪い学生だったので、何度も授業の進行を止めた記憶があります。理解できないと、理解できるまで説明を求めるわけです。
でも、そうしておけば試験前に軽く復習するだけで済みます。徹夜で勉強なんて必要ありません。
勉強嫌いなわたしに徹夜で勉強する集中力もありません。でも、どうせ授業に出るなら、そこで理解してしまえば時間をムダにすることもありません。部活の時間はサッカーに集中できます。
これがすべての原点です。
面倒なことも同じように、こまめにコツコツやってしまいます。先送りせずに、むしろできるだけ前倒しして終わらせます。苦手なものは先に食べてしまうタイプです。
嫌なことや面倒なことを先送りにする人を見ていると、「この人はきっと追い込まれるのが好きな人に違いない」なんて思っています。人間は結局自分の思い描いたところにたどり着くものですから。
もしかしたら、その人は追い込まれてそれを乗り切った自分が好きなのかもしれません。
わたしにも年に数回はギリギリまで追い込まれることもあります。でも、それは自分が望んだことなんだろうなと考えています。きっと心の奥底で願っていた未来。
そう考えると、肩の力が抜けて気持ちが楽になります。
上手くいかないことを他人のせいにしなくてもいいですし、そもそも上手くいかないことも自分が望んだ状況なら、それは上手くいっているとも考えられるわけです。
禅問答みたいになりましたが、最低最悪な状況ですら自分が招いたものだと思えば「よし踏ん張ろう」という気持ちになります。それを他人に原因を求めると、出てくるのは愚痴ばかり。
そして、わたしは最低最悪な状況を避けたいから、やっぱりコツコツやるわけです。どうしても追い込まれることはあるけど、面倒なことはできるだけ分散させるのが1番です。少なくともわたしにとっては。
「あ、これ面倒なやつ」と思ったら、まず手を動かして終わらせにかかる。
それが正解だなんて言いません。これはわたしのスタイルですし、誰の参考にもならないかもしれません。でも、こういう考え方もあるのだと知っておくといいかもしれません。
追い込まれるのが好きな人にはおすすめしませんが。
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