何をするにしても基本の形はとても大事だと思っています。サッカーならボールの蹴り方、野球ならボールの投げ方やバットの振り方。文章を書くのであれば、文法や文章構成の基本の形。
もちろん、ランニングでも基本が大事だと思いますが、ランニングは誰でも簡単に始めることができるから、基本を学ばずに走り始めます。それだけランニングは自由だという証拠ですが、やっぱり基礎があるのとないのとでは結果が変わってきます。
基本が出来ていないと、すぐに「簡単に上手くできる方法」という情報に騙されてしまいます。
どう考えても破綻している考え方を簡単に信じてしまう。糖質制限ダイエットみたいなのも流行りましたが、小さなころから食生活がしっかりしていた人にしてみれば、どう考えてもおかしいと分かります。
糖質制限そのものはもちろん有効です。糖質制限が必要な人には。
でも、日本人は宮沢賢治さんの雨ニモマケズにありますように「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」を基本としてきました。糖質制限をする人が聞いたら卒倒しそうな話ですが、それが当たり前だったわけです。
武士も1日2食で、1食2合だったように記憶しています(間違っていたら済みません)。
それが正しいと言いたいのではなく、別に糖質を摂ったところで何も問題はないということを伝えたいだけです。問題なのは消費カロリーよりも摂取カロリーが多いことであり、運動をしないことです。
必要なだけの食事を摂り、適度な運動をする。これが生きる基本です。
「◯◯ダイエット」というのは、その基本を崩しておいて痩せようとするから続きません。ダイエットで本当に大事なのは何を食べるかではなく、いかにして自分を律するかということなのに、人は「簡単に上手くできる方法」に流れてしまう。
それはやはり基本がなっていないからなのだと思います。
そして、これからの時代はそういう人がさらに増えていくのでしょう。団塊の世代くらいまでは基本がしっかりできていたように感じます。その世代に育てられたわたしの世代くらいから、基本がおろそかになってきました。
街にはコンビニができ、ファミレスやファストフードのお店がどんどん増えていきます。食事をするときに手を合わせて「いただきます」とする人も減りました。
「いただきます」が食の基本かと言われると、そうではないような気もしますが、食べ物やそれを作っている人に感謝するという考え方は薄れつつあります。何でも簡素化され、お手軽になっていく。
そういう生き方をするのは自由だと思います。でも、わたしは古い考え方の人間なので、簡素化するのは好きではありませんし、お手軽なものをありがたいとは感じません。
炊飯器もなければ電子レンジもない。洗濯は手洗いなんて生活をしているのを知っている人なら、きっと納得してくれるかもしれませんが、わたしは楽したら人生が豊かになるとはどうしても思えません。
一生懸命働くべきだし、何をするにしても手間隙かけるほうがいい。
もちろん便利なのはいいことです。わたしもコンビニくらいは使います。自販機で缶コーヒーを飲むこともあります。夏も冬も自宅のエアコンはフル稼働です。
でも、自分にできることはひとつひとつ丁寧に仕上げていきたい。不器用だから時間がかかるけど、自分のペースで基本の軸がぶれない生き方をする。
そこにたどり着くまでどれくらいかかるかは分かりません。ただ静かに続けていくこと。それがわたしの道ですから。
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