いま新しいことに取り組んでいるのですが、びっくりするくらい上手くいきません。わたしは何をしてもそこそこできるタイプだと思っていましたが、確率でいえば50%でできることが10%以下という結果。
何をしているかはいずれ話をすると思いますが、自分の出来なさ具合にびっくりしています。
人間というのは向き不向きがありますし、何をするにしても自分の中の常識を引き出してしまいます。だから、自分がこれまで生きてきた世界とまったく違う場所では、ただただ未熟さに気付かされます。
そういう意味ではライティングというのは、これまでの経験が活きたのでしょう。ブログを長く書いてきましたし、たくさんの書物を読んできたので、まったく違う世界で働き始めたわけではありません。
例えば、営業のような仕事だとわたしはきっと自分の力を出し切ることはできません。コミュニケーション能力が著しく劣りますし、エスキモーに氷を売るようなこともできません。
新しい世界では新しい発想で向き合う必要があり、これまでの経験を一旦白紙にしなくてはいけません。言葉にするのはとても簡単ですが、実際に行動するとなるとかなりハードルが上がります。
まさに今それに苦しめられているわけです。
わたしたちは、自分の知っているものしか見えません。知らないことや経験したことは視界に入ってきません。わたしたちが暗闇を怖がるのは、小さな頃になんらかの恐怖体験をしたからです。
おばけや霊の話を知らない小さな子どもは、暗闇を怖がったりはしません。いろいろな知識がついて、暗闇が発するリスクを学んで「怖い」という感情が生まれます。
成長する過程で様々なことを学びます。そして、その知識をベースに何かを考えて行動するように作られています。だから、その知識がないと右に行っては転び、左に行っては転ぶわけです。
そこで気持ちが折れる人がいますが、わたしはどちらかというと心が折れるような経験を楽しめる方だということに気づきました。そして意外と諦めが悪い人間だということも知りました。
裸足で24時間マラソンとかしたときに、心が強いと言われて「それはない」と否定しましたが、思ったよりも心が強いのか、それとも鈍感なのか分かりませんが、とにかく耐えられます。
何度転んでも、まだ「もっと上手くやれるはず」と立ち上がります。
そういうキャラクタではないと思っていました。「ムリなものはムリ」と気持ちを切り替えるのは自分のスタイルだと思っていましたが、どうもそうではなさそうです。
気づきがいくつもあるというのも、新しいことに取り組むときの楽しみでもあります。だから何歳になっても新しいことを始めたいと思いますし、学ぶことが生きることだという気持ちは忘れないようにしたいところです。
こういう感覚をもっと若いときに持っていればと思うのですが、それが出来ないのが若さというやつです。歳を重ねてからはどうしようもないことがあるというのは、経験したから言えること。
でも、その経験を活かして後悔しないように毎日を過ごすことはできます。1日1日を全力で過ごすことの大切さを知っているから、1日も無駄にすることなく楽しむことができます。
そして、時々経験したことを忘れるように無茶をすることも大事だなと。常識にとらわれて、あたり前の行動ばかりを選ばないこと。このあたりはとても難しいことですが、新しい景色を見るためにできることからコツコツと。
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