久しぶりに精神的に追い込むような作業をして、それが明けたらびっくりするくらい頭が回ります。物書きもいつもよりも頭がクリアになっていて、面白いように書けます。ただ、仕事が完全に途切れているのだけが問題なのですが。
それはともかく、人間というのはある程度ストレスを与えないといけないものなのかもしれません。基本的にノンストレスで生きていますが、その結果として自分がどこか緩んでいたのかもしれません。
そういえば、キレッキレの状態になることも最近はありませんでした。どことなく緩い感じの自分。それが自分なんだと思っていましたが、追い込まれて目が覚めて気づいた感じがします。
会社員の頃はそれなりにストレスがありました。少なくとも常に納期に追われていましたし、自分の思い通りにいかないことの連続でした。物書きの仕事は意外なほどスムーズで、悩むこともあまりありません。
でも、成長は止まっていたのでしょう。この4年間で最初の1年はかなり成長したかもしれませんが、あたり前のように文章を書くことで、どこかマンネリしていたというのもあります。
だからこそ新しいことに取り組んでいるのですが、相乗効果というのでしょうか、今までの自分とはちょっと違う一面が出てきて、それを面白がっている自分がいます。
わたしは、どんな難問でも与えられた課題には答えがあると思っています。
機械設計の仕事をしているとき、「そこには絶対に入り切らない」というような空間に、あれもこれも詰め込めと言われます。それも「ちゃんとメンテナンスできるように」みたいな無茶を言われます。
最初は物理的に無理だと思いながらも、吐きそうになるくらい頭を悩ませて考えます。すると、ある日突然答えがフッと頭の中に降りてきます。嘘みたいな話ですが、あれだけ悩んでいたのが嘘のように答えが導き出されます。
今回はまだ悩んでいることに対する正解までは届いていませんが、おそらく正解に近いものが降ってきましたし、別のところで悩んでいたことに関しては、完全に答えが出ました。
すごく目の前がクリアな状態です。
もしかしたら、今なら自分の未来すら見えるのではないかと思うくらい、キレッキレな状態にあります。世の中ではこれをゾーンと呼ぶのかもしれません。北方謙三さんの小説で出てくる「死域に入った」状態。
もしくは悩み苦しんでいるときが死域がなのかもしれません。そこから生還したから、今までとは違う景色が見えてきたのかもしれません。いずれにしても、大事なのは死にそうになるくらいまで追い込むということ。
無謀だと人が笑うようなことに対して、自分にはできるのだと信じて突き進む。馬鹿げたことだとは思います。
でも、そこで正解を見つけるために苦しむことが、自分の成長に繋がることをわたしは知っています。もちろん、生きて帰ってくることが前提です。一歩間違えれば、あちら側に引きづられる領域に踏み入れて、そこから生還する。
そういうヒリヒリした状況も好きなんだなと、改めて思いました。小さくまとまることなく、自分の弱さとも真正面から向き合って叩きのめされて、それでも一歩前に進む。
間違っても、今の若い人には受け入れられない考え方でしょうね。わたしが上司だったら、1週間に1回くらいパワハラで訴えられそうです。その点では自由人で良かったとは思います。自分のためにも他人のためにも。
自分で勝手に死域に入って、自分で勝手に新たしい自分になっていく。それでいいかなとは思います。これは紛れもなく自分の人生なのですから。
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