プロのサッカー選手になるのが高校・大学時代の目標でした。プロのサッカー選手になって国立競技場でプレーすることを何度も何度もイメージしながらサッカーを続けていたのです。ウルグアイのプロチームの入団テストを受け、練習生合格したところでわたしのプロへの夢の幕が降ろされました。その後もサッカーは続けましたし、フットサルもやっていましたが、いま思うとやはり夢はあのとき終わったのでしょう。あの入団テストでもう1段上の合格をもらえていれば、もしかしたらいまと違う人生を進んでいたのかもしれないなと思うことがあります。
サッカーの日本代表の今日の試合がいまの国立競技場での最後の試合だったそうです。選手としても目指した場所であり、サポーターとしても日本代表と何度となくともに戦った場所です。ノドがかれるまで声を出したため、翌日の職場で会話ができなかったのは一度や二度ではありません。
はじめて国立競技場に来たのは高校選手権の準決勝だったと思います。四日市中央工業高校と帝京高校が同時優勝した年だったような気がしますが、そうなると高校1年の冬になります。国立競技場そのものは何度もテレビで見ていましたので特別という気はしませんでした。それよりもはじめての東京に気持ちが舞い上がっていたような気がします。
正月明けでまだ世の中は休日の雰囲気でしたが、山手線からビルの中で働くサラリーマンたちの姿が目に入ってきました。そのとき、わたしは東京に出てくることを決意しました。当時はまだサッカー選手になろうだなんて思いもしなかったので、単純に東京で働くことにかっこよさを感じたのかもしれません。あの風景はいまだに目に焼き付いています。わたしが大阪から関東に出てきたきっかけになった風景です。
関東に出てきてからは天皇杯の決勝戦を観戦したぐらいでしたが、大学時代に出会った仲間の影響もあり、日本代表の応援を始めました。フランスW杯の予選からだったと記憶しています。チケットがプラチナ化してかなり入手困難だったのですが、仲間になんとか手に入れてもらい(わたしはバイトが忙しくて並べなかった)国立競技場で行われるほぼすべての試合、ゴール裏で声援を送りました。
そのときはすでにサッカーを辞めていました。大学4年のときです。入団テストの夢が叶わず、大学サッカー部のメンバーとの考え方の違いもあって、サッカーを続ける気持ちを維持できなかったのでしょう。自分の夢を日本代表に託す気持ちで声を出し続けました。青春の1ページです。
それからも日本代表の応援は続けましたが、マラソンをはじめたころから会場に足を運ばなくなっていきました。マラソンの練習時間を確保することを優先した結果です。それに日本代表の応援団も徐々に世代交代が進んでいていました。引き際ではないですが、応援するという夢も次世代に託すことにしたのです。
そうやって離れていった国立競技場ですが、たった1度だけフィールドに立ったことがあります。サッカー選手としてではなくマラソンランナーとして。マラソンのイベントで金曜日の夜中から土曜の朝まで駅伝をする大会があり、その会場が国立競技場。コンコースとフィールドをつないだコースだったので、実際に芝に触れることはできませんでしたが、陸上トラックから観客席を見上げながら走れたことは今となってはいい思い出です。
おそらく、もういまの国立競技場に入ることもないのでしょう。オリンピックに向けて新しい国立競技場の建設に入ります。きっと素晴らしい競技場になるのでしょう。そして次の世代にとっての聖地になるに違いありません。次の世代がいい夢を持てるような競技場になってほしいと願わずにはいられません。そして、ほんのわずかでも可能性があるのなら、オリンピック選手として国立競技場に立ってみたいものです。サッカー選手になる夢は終わりましたが、わたしはいまも夢を持って走り続けています。
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