会社の慰安会幹事をして感じていること

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明日から会社の慰安会です。1泊2日で千葉の温泉ホテルに行くのですが、その前に横浜うかい亭でランチ。そのままスカイツリー観光し、千葉に移動して宴会。昭和です昭和。バブルってこういうんだったんだろうなと思うような羽振りのよさです。もちろん会社負担です。財布は空っぽにして参加…とまでは言わないけど、それぐらいのいたれりつくせりです。

いい会社だと自慢したいわけではありません。そもそも自分の所有する会社なわけではないので会社の羽振りがよかろうが悪かろうが、景気が良かろうが悪かろうが正直どうでもいいのです。ただ、今回は慰安会の幹事の一人になったので、いろいろ思うことがあったので、書ける範囲で書いておこうかなと。

バブル期を知りませんが、そのころと今とでは決定的に違うだろうと感じることがあります。その内のひとつが自己主張です。幹事をやっていると他の社員から「わたしはこうしたほうがいいと思う」のような声を聞きます。言うのは自由です。いや、言うのは自由だという風潮が現代の象徴のような気がします。みんながみんなではありませんが、それぞれが「わたしはこう思う」と言うのです。それぞれが自分の考えだけが正しいという信念のもとに。

でも正しさなんて人の数だけあるわけです。自分の正しさが他人の正しさとは限らないという当たり前のことが理解されにくくなっています。なぜでしょう。たとえばある人は1泊2日の泊まりで全員参加すべきと主張し、ある人はそれにかかる経費をお金でよこせと言います。全員の意見をすべて汲むことはできません。そのうえ最適解があるべき姿とも限らないわけです。自分の主張が混乱を招く可能性があるという発想はもはや古い考えなのかもしれません。

なにもわたしの務めている会社だけに限った話ではなく、日本という国全体がそういう傾向にあるんじゃないかと思うのです。若者だけに限った話でもなく、若いものも歳を重ねたものも全体的にそういう傾向にあります。

意見の対立はいつの時代にもあるものです。意見をぶつけあうことで新しい何かが生まれることもありますし、お互いをほんの少しでも理解し合えることに繋がったりもします。いまでもそういうことが出来る人もいないわけではありません。意見をぶつけることで出口を見つけれるというのは素晴らしいと思うのです。

慰安会は会社のイベントなので業務のひとつとして考えられています。昭和の頃ならこれが土日開催だとしても多くの社員が集まったのでしょう。でも、いまは平日の午後を半日業務を停止させて業務時間内でなければ参加しないという人が半数はいます。実際に今回の慰安会は日帰りも可能にしてみようと試みたら、見事に半数に分かれました。

これも時代の流れなんだろうなと感じます。いいとか悪いとかいう話ではなく、時代の流れ。バブルを知っている人にしてみれば休日だろうと参加するのが当然という感覚で、若い人にしてみれば業務時間外を仕事に取られたくないという感覚なのかもしれません。もっともそういう違った考え方の人が集まっているからこそ会社というのは成立するのだとも思います。みんながみんな同じ思考の会社は調子がいいときはいいのですが、いったんバランスが崩れると脆いものです。

結局何が言いたいのかというと、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があってこの国は、この世界は成り立っているということです。ロシアにはロシアの、ウクライナにはウクライナの、EUにはEUの正義がある。それをいかに尊重しあってうまくやっていくか。世界的な問題でもあり個人的な問題でもある。そんなことを考えた慰安会の幹事でした。準備はなんとか終わったので、あとはみんなに楽しんでもらうだけ。

もうひと踏ん張りがんばります。

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