すべては手に入らない、だからこそ個性があり魅力がある

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昨日、職場でキャリアポテンシャルセミナーというものを受けてきました。ある程度若手の社員が受けるもので、事前にアンケートではないですが調査のようなものがあり、その結果を渡されて「あなたはこういうタイプですよ」と特性を数字化したものを見せてくれます。そして、その数値と会社の中で必要とされる人材のモデルとの差を埋めていくことが重要だという説明を受けました。人材モデルは6つあり、その中から自分がこうありたいというモデルを選び、その人材モデルの数値化された個性と比較するわけです。

そもそも論ですが、意図的に特性を高めることが本当に大切なことなのだろうかとわたしは疑問に感じています。例えば会社で必要とされるエンジニアになるにはAとBとCという特性が重要だとしましょう。そのときわたしの特性としてAは満たされているが、BとCは不足しているとします。そのかわりDとEという特性が高いという判断をされたとします。

わたしがエンジニアを目指しているとすれば、「不足しているBとCの特性を磨いてください」と言うわけです。一見すごく合理的です。効率的に会社にとって必要とされる人材を目指せるわけです。

でも、ちょっと待ってください。人間ってそんなふうに成長できるのでしょうか。BとCの特性を磨くということでAとDとEという特性に影響はないのでしょうか。そんなわけありません。BとCの特性を磨いたとしたら間違いなくAとDとEという特性のどれかは低下します。人間はRPGゲームの主人公とは違うのです。レベルアップするたびにすべての特性が上がるなんていうことは絶対にありません。

会社側にしてみれば、あるべき姿を提示して社員にそこを目指させるというのはすごく簡単で魅力的な教育方法だと思います。そうだとして、過去にすべての特性が高い社員というのは誕生したのでしょうか。コンサルタントを受けた会社の社員が全員優秀な社員になった例があるのでしょうか。

同じようなことは男女関係や友人関係などの密接な関係にある人の間でも起こります。「彼の○○なところが好きだけど、△△というところが許せない」という言葉をわりとよく耳にします。そして彼女は彼の△△を改善させようとします。ところがその△△なところがあるから○○というところがあるという可能性は否定できません。それが人間です。すべては手に入らないし、良いところと悪いところは補いあっているのが人間です。

先の例で言えば、わたしはAとDとEを高めるために意図的にBとCの特性を捨てています。AとDとEの特性がわたしの人生に必要だからです。それが会社にとって必要とされる人材モデルと一致していなくてもそれはそれで仕方のないことです。会社がわたしの人生を保証してくれるわけではないので、わたしはわたしの生き方を自分自身で決めなければいけないのです。

ひねくれ者の戯言だと言われればそれまでです。否定はしません。でもね、やっぱりすべては手に入らないんです。わたしたちが手にすることが出来るものには限りがあるのです。人によって手にできる量が多少違うだけです。だからこそ人は一人ひとり違うわけで、個性があり魅力があるのです。そこが人間関係のスタートラインなんじゃないかとわたしは考えています。

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