3月11日は特別な日【見えない「何か」を届けたい】

3月11日は特別な1日です。東日本大震災が起きた日であり、大好きな人の誕生日でもあり、その人の結婚記念日でもあります。なんとも複雑な感情になる1日なのですが、大好きだと言える人がいることを幸せだとは感じています。

20代のわたしは、たくさんの素敵な人に出会いました。そして数々の失恋を積み重ね……。なんであんなにもフラレ続けたのでしょう。もっともひとつでも上手くいっていたら、きっと今の自分はいなかったわけでして。

3月11日のあの日、わたしは横浜にいました。会社の慰安会があり、午前中の仕事を終えて午後からみなとみらいの万葉の湯へ。宴会前にフットマッサージを受けているときに地震が発生しました。そこから、妊婦だった姉の安全確認のために鎌倉まで走り、鎌倉から自転車を借りて藤沢まで。

自分の足で移動できるランナーでよかったと、心から思った1日です。

あれからもう9年です。この9年で様々なことが起きました。わたしは正社員ではなくなり、都会で自転車を漕いで稼いでいます。計画停電も気にすることなく、エアコン全開の部屋で書き物をしています(昨日から止めましたが)。

9年経って再び暗闇の中に入ろうとしています。今度は日本だけでなく、世界中が暗闇の中へ。人間は無力だなと思いますが、思ったところで何かをできるわけでもありません。できることは、大切な人を笑顔にするくらいのこと。

世の中には大勢を助けられる人もいます。そういう人物に憧れたこともありますが、40年も生きていれば自分がそっち側の人間でないことはわかります。わたしにできるのは、手の届く範囲にいる人たちと笑顔を共有することだけ。

だから、UberEatsの配達も笑顔を大事にしています。自分が届けているのは料理ですが、配達先で「ありがとうございます」と言ってもらえたとき、お店で「お願いします」と言われたとき、この仕事は料理以外の何かも届けられているんだろうなと実感します。

ライティングも「あれ良かったです」と言われることが時々あります。褒められるのに慣れてないので、いつもどう対応していいのかわからず困惑していますが、自分の言葉で何かを届けられたのなら、そんな嬉しいことはありません。

見えない「何か」を届けること。

もし神様がいて、1人1人に役割を与えてくれているのなら、きっとそれがわたしの役割なんだと思っています。その「何か」を人は幸せや温もりと呼ぶのかもしれませんし、希望と呼ぶ人もいるのでしょう。

きっと20代のわたしには、まだ「何か」を届けることができなかったんだと思います。未熟だったから「何か」を手にしても、その大切さに気づかずに、引き出しの奥にしまっていたのでしょう。本来はみんなで回し合うものだということも知らず。

歳を重ねることは悪いことばかりではないようです。今ならきちんと次の人に届けることができるから。

あの日から9年経ってもまだ無力なわたしは、きっとこれからの人生も無力なままなのでしょう。でも、そんな世界を変えることができないわたしでも、ここにいる意味はあるはず。わたしだからできることもあるはず。最近そう思うことが増えてきました。

きっとあの日がなければ、わたしはまだ自分のことを過信していたかもしれません。まだ何者かになれると信じていたことでしょう。

自分は自分が思っているよりも小さい。
それを思い知った9年前の3月11日。

自分の大きさを正確に把握できるようになってから、随分と楽になったような気がします。以前みたいに自分だけでなんとかしようとするのもなくなり、自分ができないことを自然と誰かにお願いできるようにもなっています。

どんどん弱くなっていく自分がいます。

でも弱いからこそ「何か」を上手に扱えるようになった。20年前にはできなかったこと、9年前にもできなかったこと。今ならきっと上手にできます。3月11日はそれを確認する特別な1日です。

大切な人からLINEが返ってきました。

やっぱりまだ「何か」を届けるよりも、もらえる「何か」のほうが嬉しいかな。まだまだ修行が足りてない。

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