イデオロギーの違う中国人との関係を築くために必要なたったひとつの考え方

改めて言うまでもありませんが、中国は共産主義の国です。でも共産主義が何なのかと聞かれて正しく答えられる日本人はほとんどいません。ということは中国がどのような国なのかもわかっていないことになります。それは構わないのですが、問題は中国を日本人としての視点だけで見ていることに問題があります。

日本と中国の違いについて「文化の違い」と言うことがありますが、それは単純に文化ではなくイデオロギーの違いだったりします。少し難しい話になりますが、今日はこの視点で中国と日本の違いについて解説していきます。

目次

中国に所有するという価値観はない

日本と中国の最大の違い。それは所有するという感覚の有無です。これは共産主義の基本的な考え方がベースにあります。共産主義ではすべての財産が共有されます。なぜかというと、共産主義がそのような思想だからとしか言いようがありません。

共産主義というのは平等主義です。格差のない社会、差別のない社会を追及しています。だから中国では自分の土地というものがありません。でも収入格差があるじゃないかと思うかもしれません。中国の都市部と農村部では収入に大きな格差があります。

ただそれは、理想の社会に向けての過程であり、鄧小平が掲げた先富論によるものです。

まずは稼げる人から稼ぎましょう。そして、稼いだ人は落伍した者たちを助けましょうという考えです。これが上手くいっているかどうかは道半ばですのでわかりません。2020年で先富論に区切りをつけるとしていますので、ここから大きな動きがあるかもしれません。

大きな部分では上手くいっていないかもしれませんが、中国の人たちは「持っている人が払う」というのがあたり前になっています。これはキューバも同じで、キューバではその日にお金を持っている人は率先してみんなの分を払います(少なくとも20年前は)。

自分の手元にあるお金は自分のものであり、自分のものではないという感覚。日本ではそれを「気前がいい」なんて言いますが、一方で頻繁におごる人は妬まれてしまいます。中国で妬まれるかどうかまでは知りませんが、共産主義の考え方からすれば、感謝も妬みもそこにはありません。

中国には国という概念がない

中国は中華人民共和国という国です。でも、実際には国という形にはなっていません。政府はありますが政党は中国共産党しかありません。軍隊はありますが、所属は中華人民共和国ではなく中国共産党です。

なぜか?

正確に言えば中国にはもうひとつ中国国民党があります。台湾の政党ですが、これは蒋介石が人民解放軍から台湾に逃げたという歴史的背景があり、中国という視点から見ると中国国内は共産党と国民党が内戦状態にあります(この考え方は、台湾は中国だという主張のベースにもなっています)。

いずれにしても人民解放軍は共産党の軍です。共産党が中国を支配しているのだから同じじゃないかと思うかもしれませんが、自衛隊が自民党の支配下にあると思うと歪だと思いますよね。でも中国はそういう国です。いや、実際には国という毛皮を被っているだけ。

国という概念がないから、あちこちに手を伸ばします。対外的には国という形をしていますが、共産主義というユートビアを広げるために、どんどんと支配エリアを拡大しようとします。でも国という概念がないので国のためには戦いません。共産主義のため、共産主義の母体になっている共産党のために戦います。

日本は国という概念があります。この考え方には賛否があると思いますが、日本には天皇制があり長い歴史が続いています。天皇陛下は国民のために祈り、国民はその天皇陛下に尽くすというのが日本という国の形です。良いか悪いかは別としてこの形が日本人にとっての国のベースにあります(ありました)。

自分よりも相手を優先するという気持ちが日本の強み

中国と日本は根本の部分でズレているため、国同士として正しく向き合うことはできません。日本は国ですが、中国は国ではなく共産主義というイデオロギーです。噛み合うわけがありません。でもお互いの国民の距離を縮めることはできます。

少なくとも中国の若い世代の多くが日本の文化であるアニメや漫画の影響を受けています。そこで滅私の考え方というものに興味を持っています。自分を犠牲にして誰かを守るという日本アニメの鉄板の思想を彼らは学びました。

今は日本のドラマやアニメをそれほどありがたがらなくなりましたが、中国でドラマを作っている人たちは、日本のアニメやドラマの影響をうけているのでところどころに中国らしからぬ「滅私」が見られます。誰かのために自分が犠牲になる。

この「誰かのために自分が犠牲になる」という考え方は、日本でも薄れつつあります。他人のことよりも自分が大切という人が増えています。これが日本を弱くしているんだろうなと思っていますが、わたし個人でなんとかなる問題でもないので、わたしはこれまで語ることもしてきませんでした。

でも、やっぱりこれが日本人の強みであり、取り戻さなくてはいけない感覚かなと思います。他人に対する思いやりや、他人の視点になって考えること。そして自分を犠牲にしても全体を活かすという感覚。これこそが世界中が恐れた日本人の特性です。

そして日本人が中国人と上手く付き合うための唯一の強みだと思っています。こういうことを言うと中国人に舐められると、中国に駐在経験のある人は言ってくるでしょう。確かにそれはひとつの事実です。わたし1人の滅私など良いように使われるだけかもしれません。

でも、それに心を動かされる人もいます。だからわたしは中国の人が好きで、万里の長城マラソンの日本事務局をしています。国はどうであれ、個人としてこの強みを活かせることができれば、それに応えてくれる人がいます。

中国で誰かのために尽くせるか。それは結局日本でも同じようにしていないことには無理です。だとすると多くの日本人がきっとできないことなんだろうなとは思います。滅私なんて考え方は鼻で笑われるだけですから。

まとめ

日本と中国が向き合えることはまずありません。それぞれのイデオロギーが水と油なので手を取り合って協力し合う未来は考えられません。でも日本人と中国人が手を取り合えないかというとそういうわけではありません。

わたしの同世代の中国人はなんらかの形で日本文化の影響をうけており、さらに若い世代は間接的に影響をうけています。だから自己犠牲の精神に心が動かされますし、その精神を持った人を尊重してくれます。全員がそうだとは言いませんが、そういう若者が増えています。

だったらそれを強みにしないのはもったいない。日本人らしさを前面に出して彼らと向き合うこと。グローバルな人間ではなく「わたしは日本人だ」と全面的にアピールし、そして目の前にいる人のために全力を尽くす。

これが正しいかどうかはいずれわかると思います。5年後10年後にわたしが中国をまだ好きでいるならきっとこの考え方は正解です。もっともそんなことをしなくても正解だと確信していますが。

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