なぜわたしは同じものを食べ続けることができるのか【わたしたちが飽きる理由】

緊急事態宣言が解除されたとはいえ、基本的にはSTAY HOMEが続いています。そうなると必然的に自炊する人が増えるわけですが、最近良く目にするのが「自分の味に飽きた」という声です。わたしは自炊生活を20年していますが、自分の味に飽きるということはありません。

それもほぼ同じ食事をローテーションしているだけなのに。この飽きる飽きないという感覚はいったいどこからやってくるのでしょう?わたしの料理が美味しいから?それとも味が不安定だから?ちょっと気になって「飽きる」とはどういうことなのか調べてみました。

目次

飽きるというのはどういうことなのか

わたしは基本的に飽きっぽい性格をしていると思っています。何をしても続かないというか、興味の対象が次々に変わっていきます。そんな中でランニングやライティングに飽きることはありません。続かないものと続くものにはどのような違いがあるのでしょう?

そもそも飽きるというのは科学的にどういう状態なのでしょう?

心理学的に飽きるというのは、下記の2つの心理的状態が影響しているとされています。

  • 馴化
  • 心理的飽和

馴化というのは刺激に対する慣れのようなものです。とても美しい景色を初めてみたときと10回目に見たときには感動の大きさがまったくちがいますよね。最初は感動した景色でも、何度も見ているうちに慣れてしまい、刺激がなくなります。これが「飽きる」のひとつの理由です。

そしてもうひとつが「心理的飽和」です。わたしたちは同じ作業を何度も繰り返していると作業の質や量が低下し、新しい刺激を求めるようになります。単純作業の仕事が苦痛なのはこの心理的飽和が起きているためです。これも「飽きる」を生み出します。

そう考えるとどうやらわたしたち人間は、飽きるように作られているということがわかります。理由はいろいろあるのでしょうが、人間は飽きる生き物であり、飽きることはおかしなことでも何でもないわけです。

なぜ飽きずに続けられることがあるのか

飽きるように作られているなら、なぜわたしはランニングもライティングも、そしてローテーションのように続く自分の食事に飽きないのか。

まずライティングに飽きない理由は簡単に推定できます。理由は2つあって、1つは仕事であるということ。もう1つは同じ文章を繰り返し書いているわけではないということです。ライティングはやりたい、やりたくないではなく、生活のためにやらなくてはいけないことです。

そしていつも新しいことを調べて書いているので、常に刺激があります。いつも新しい刺激があるので馴化することはありません。むしろ興味の対象がどんどん広がっていくので、飽きる理由が見つかりません。

ではランニングはどうか。

おそらく普通のランナーだったらここまで続いていなかったと思います。とはいえ最初は普通のランナーだったわけです。なぜやめずに続いたかというと、やればやるほど記録が伸びたからです。自分が成長していくという報酬がモチベーションアップにつながっていたわけです。報酬もひとつの刺激なわけです。

ケガをしたあとも裸足ランニングに出会い、裸足で上手に走れるようになるという報酬があり、そこからは人との出会いというの報酬がありました。いや、これに関しては現在進行形になりますね。走っていれば様々な報酬があります。飽きる理由がありません。

では料理はどうなのか。

これはどうもすっきりとした理由が見つかりません。毎日同じようなものしか食べていないのに、毎日ワクワクします。冷静に考えてみるとかなり気持ち悪いことです。玄米の卵ご飯と味噌汁を3日に1回必ず食べていますが、毎回楽しみです。もう何年もです。

人としてそんなことがあり得るのでしょうか?

同じ食事が続いても飽きない理由

なぜ同じ食事が続いても飽きないのか。自分なりにいろいろと調べてみました。

  • 食べているもので体が満たされているから
  • 薄味だから
  • リラックスできるから
  • 味が一定ではないから
  • 味覚がおかしい
  • 記憶力が弱い

どれもしっくりきませんが、味覚はたぶんそれほど悪くありません。美味しい店と思っているところに他の人を連れて行くと喜んでもらえるので。それ以外は当てはまります。栄養バランスとして極端に欠けているものはないはずです。

基本和食に近いもので醤油とみりん、塩こうじ、塩くらいしか調味料を使っていません。以前はお酒も使っていましたが、だいたいみりんと塩こうじでなんとかなる気がして……あと飲んじゃうので。濃い味のものはそもそも作りません。

自分の作ったものを食べて落ち着くか。まぁ緊張はしませんね。メンタル的には落ち着くんだと思います。いつもの味で安心できる。

でも目分量なので味が毎回違います。同じ料理でも「今日は上手くできた」「イマイチだった」なんて思うこともあります。味噌汁ひとつでもです。そこに気づける味覚があるということなのかもしれません。

そして、やはり記憶力の弱さも影響しているのかと。わたしはとにかく覚えないタイプで、これだけ同じものを食べ続けているのに、昨日の昼に何を食べたのかすぐには思い出せません(ローテーションだから逆算すればわかりますが)。

結局、なぜ飽きないのかはわからないというのが正直なところです。

同じものを食べ続けるメリット

同じものを食べ続けられる理由はわかりませんが、これには大きなメリットが1つあります。それは何を作るか迷わなくて済むという点です。こう見えてわたしはそこそこ忙しいので何を作るかで悩む時間も惜しいタイプ。

「今日はハンバーグ」「明日は焼き魚」とかいろいろ考える必要がなく、スーパーでは同じルートでストックが切れているものだけを買う。買い物はあっという間に終わります。これはひとり暮らしだからできることですが。

わたしがブログでもよく書いている「雨ニモマケズ」の1日4合の玄米もしくは麦めしが日本人のスタンダードだった時代があります。その時代でも日本人は生きていました。栄養バランスというのは、普通の人はそれほど気にしなくていいと思っています。

栄養が偏るという意見は間違ってはないと思います。でも偏ったら必ずしもだめというわけではないことを、わたしは自分の体で証明しています。でも以前は1日2〜3パックの納豆を食べており、それが金属アレルギーを引き起こしていると気づかなかったのはよろしくなかった例かもしれません。

「同じものばかり食べると太る」なんて話もありますが、少なくともわたしは太っていません。161cmで53kgなので痩せてもいませんが。

ただ、これらのメリットは後付でしかありません。メリットがあるから同じ食事を繰り返しているのではなく、やっぱり同じ食事を毎日楽しみにしています(もちろんたまの外食も楽しみにしています)。

まとめ

わたしは食い意地が張っていて、美味しいものを食べることをこよなく愛しています。でも、日常においてごちそうを食べているかというとそうでもなく、むしろとてもシンプルなものしか食べていません。ただ、毎回「美味しい」と思って幸せになっています。

なぜ飽きないのか。その理由を知りたくて書き始めましたが、結論は出ませんでした。考えられるのは、薄味でシンプルなものしか作っていないということと、微妙な味の違いを楽しめる味覚を持っているくらいですが、それだけとは思えません。

そういえば犬や猫も食べ物には飽きないというのを聞いたことがあります(好き嫌いはある)。比較的動物的な味覚を持っているのかもしれません。良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが。

ただ、この偏食で困ることもありませんし、心身ともに健康な状態を維持できています。だったらいいのかなと思ったり。きっと神様があまりにも取り柄がないから、何を食べても美味しく感じるようなオプションをつけてくれたのかもしれません。

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