一般的な家庭にありそうで、わが家にない家電。テレビ、炊飯器、電子レンジ、掃除機とこんなところだろうか。大和に引っ越してくるまではエアコンもなかった。大和には厚木基地があるため、賃貸物件にはほぼもれなくエアコンがついてくる。よほど暑いか、よほど寒いかでなければ使わないけど、あればやはり使ってしまう。それはともかく、そろそろわが家からいなくなりそうなのが洗濯機だ。もう3ヶ月近く使っていない。
最初は思いつきで手洗いを始めてみたのだけど、見事にはまってしまった。旅先で手洗いできないようなときに帰宅後に大量の洗濯物を手洗いするのと、手の荒れがひどくなったことを除けば、手洗いに満足している。
一人暮らしだとどうしても、選択を毎日するわけにはいかなくなる。電気代も水道代もムダになるからだ。そこで週に2回の選択になるのだけれども、そうなると着たものが2〜3日放置されることになる。冬ならともかく夏はいただけない。手洗いなら毎日の入浴時に洗えるので毎日洗うことが出来る。衛生的だし、思わぬ副産物もあった。
何着も持っていたTシャツや下着、靴下が3セット程度で済むということがわかった。洗った翌日には乾いているのだから最低2セットでこと足りる。ただ、予備がないのは不安なので3セット。平日は作業着で通勤しているからこれで十分だろう。練習着は速乾性が高いので2セットでよい。モノが圧倒的に減ることになる。休日用に多少変化をつけるとしても大した量ではない。
大した量ではないから極端なことをするならシーズンが終われば捨ててしまえばいい。夏前にTシャツやポロシャツを3枚買う。冬前に長袖のTシャツを3枚買って、夏に着ていたものを捨てる。もったいなかもしれないけど、半年で30回以上着るわけだからどんなにいい素材のものを使っても駄目になる。わたしはモノを減らしたいが、決して節約家ではない。いつだって新しいシャツを着るのは気持ちいいことを知っている。
手洗いをすることでなんと快適になるのだろうと思っていたが、手洗いの凄さは実はもっと別のところにあった。手洗いをすると衣類の汚れが格段に落ちるのだ。洗濯機では絶対に落ちないような汚れも驚くほど落ちる。よく洗剤のCMで使われる「驚くほど落ちる」というキャッチコピー。あれウソだ。どんな洗剤を使ったところで手洗いの半分も落ちない。特にこれまで洗濯機で洗っていたものを手洗いに変えた1回目は笑えるほど水が汚れるので、いかに衣類の汚れが落ちていなかったのかがよくわかる。
もちろん、洗濯機そのものが悪いと言っているわけではなく、わたしの生活には不要だと感じただけだ。いや、わたしの生活をもっと楽にするには洗濯機は必要だ。毎日定時で職場を上がって、そのあとほとんどの時間は自宅のMacとのにらめっこだ。どれだけ作業をやっても終りが見えない。そんな状況でのんきに手洗いなんてやっている場合ではない。でも、手洗いの気持ちよさは何よりも優先すべきものなのだ。もはや洗濯機を使っていたころには戻れないし戻りたくもない。
どう考えても効率的ではない。時代の流れに反していることは重々理解している。それでもわたしは手洗いをやめるつもりはない。そして、この5月6月のドタバタを過ぎたら洗濯機とおさらばしようと思う。非効率の中にある本当に大切なものを見つける作業は実に楽しい。最後に残った冷蔵庫は…こいつはかなりの強敵だけれども、いつかはおさらばしてみたいものだ。
コメント