チィファの手紙 〜你好之華〜

人生において、すべてが思い通りになる人がいたとしたら、それは随分と退屈な生涯になるのだろう。社会的な成功を手に入れ、欲しいものは何でも買えてしまうあの人ですら、きっと思い通りにいかないこともあって、どんな人でもそれぞれが心に背負っているものがある。

初恋は叶わない。それが事実かどうかはわからないが、願いが叶って寄り添える間柄になったとしても、その未来が順風満帆かどうかはわからない。

人生を嘆いているわけではなく、むしろ面白がっている。上手くいかないからこそ感情の幅が広がり、失敗するから心に残る。取り返しのつかない失敗だって、時間が経てばそれが物語となり、さらに時間が経つことで懐かしむようになる。人生において本当の意味での失敗などない。

一生懸命に勉強をして、偏差値の高い大学に入り、誰もが名前を知っている大手企業に入社する。わたしが自分の未来を考え始めた時代は、まだそのような思想が根付いていて、高校時代の同級生の半数は偏差値の高い大学に入るために浪人している。

彼らがいま何をしているのかはわからない。2人ほどまだ年賀状でつながっているが、1人は10年前に心の病により仕事を辞め実家に帰った。もう1人は結婚し、イギリスでの生活を経ていま横浜に住んでいるらしい。彼女とはもう20年以上も会っていない。ショートカットの似合う女の子だった。

恋愛感情があったわけではないが、昨日のことのように思い出せる出来事がある。

わたしは放課後の教室が好きで、部活を引退してから毎日、自分しかいない教室で勉強していた。ところがある日から彼女も教室に残り、わたしと同じように教科書を開くようになった。言葉を交わすこともなかったが、さすがに彼女のことを意識せずにはいられなかった。

恋とは呼ぶことができないような、ほんの小さな感情の変化だった。ただ、あのとき話しかけていたら、違った未来があったかもしれない。だがそれを悔いてはいない。もし彼女に会うことがあったら、あの日のことを覚えているか聞いてみるとしよう。きっと覚えていないだろうが。

人生には台本がなく、いつだって想像していないことばかり起きる。兄弟のように仲の良かった人と疎遠になることもあれば、思わぬところから「お久しぶりです」と連絡がやってくることもある。今年に入ってもう2度も悲しいお知らせを聞いている。

どん底まで落ち込んだ日もあった。どこまで進んでも目の前が真っ暗で、でも必ず出口はあると信じて前に進み、いまはこうして飽きることなくキーボードを打ち続けている。大切な人を失ったとき、自分だけが不幸なのだと錯覚しそうになる。もちろんそんなことはない。

みんなが上手くいかない何かを抱えている。いつ会ってもはじけるような笑顔を見せてくれる人も、職人のような寡黙さを貫き、独特な雰囲気を漂わせている人も、強い向かい風にさらされながら、それぞれの方法で踏ん張っている。

映画「チィファの手紙 〜你好之華〜」を銀座の映画館で観てから、ずっとそんなことを考えている。

もうひとつ頭から離れないことがある。才能とは何なのか。この映画がそっと教えてくれたような気がする。

ユニクロで売られている980円のTシャツとプラダで売られている7万円のTシャツは何が違うのか。半分はブランド代だが、同じように見えるTシャツでも実は細部に違いがある。ほんの少し裾と袖の長さのバランスが違ったりするわけだが、才能はその違いに現れる。

才能がある人は理屈ではなく「あと5ミリ肩幅を広くしたほうがバランスがいい」と感覚で分かる。

文章も同じで、文才がある人は心地よいリズムや、読みやすい文体を感覚でわかってしまう。「この表現では伝わらない」を理論的ではなく、感覚でわかることが才能なのだ。映画のストーリーではなく、「チィファの手紙 〜你好之華〜」という作品そのものからそう教えられた。

この映画ではとてもシンプルな中国語が使われている。わたしでも字幕なしで理解できるくらいの基本的な単語だけで構成されている。でもそれで物語が軽くなることはない。シンプルな言葉でも正しく表現すれば人の心を揺さぶることができ、そして「正しく表現する」ということが才能なのだ。

わたしはずっと自分に文才はないと言ってきたが、きっとそうではない。わたしに足りていないのは表現力と語彙力であり、正しく言葉をチョイスし表現する才能は備えている(と思っている)。「だから逃げるな」と叱責されたような気分になり、こんな堅苦しい文章を書くことになった。

いいだろう。もう逃げはしない。

文章を書くという行為と本気で向き合った結果、思うように書けなくて、苦しむことになるかもしれない。だが、それも悪くない。上手くいかないことが多いほど、人生は面白くなるのだから。

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