午前5時30分。ハダシストの朝は早い。毎日変わることない体重を測り、短パンを履いてTシャツ姿で走りに出ようとしたところで、上着が必要な気温だということに気付く。もう10月で本格的な秋に移行している。今年は残暑が厳しくない。
残り3ヶ月で何ができるだろう。今年作ったばかりのサイトはアクセスが倍くらいになるだろうか。パーソナルトレーニングに1人くらい応募があるだろうか。クリスマスを一緒に過ごす相手はできるだろうか。未来のことはわからないから考えても仕方ない。だが方向性を定めることはできる。
ウーバーイーツの配達はどこに飛ばされるかわからないので、渋谷から始めたのに、数時間後に上野にいるなんてことがある。何も考えていないとそうなるのだが、きちんと方針を決めていれば、渋谷から大きく外れることはない。自制できるかどうかで、人生の方向性もある程度はコントロールできる。
今のような状況では、波風立てずに静かに暮らすのが賢明だ。目立つことを避け、叩かれないように静かに生きる。もちろんわたしにそんなことはできない。回遊魚と同じで、動いていないと生きていられないのだ。年内は東横線ランと長崎観光、そして年末の東西対抗東海道53次ウルトラマラソンが決まっている。
万里の長城マラソン仲間で京都に行くという話もある。それがなくても関西には行く予定ではある。来年以降のイベント打ち合わせのために。こういうときでも、未来への種は撒いておかなくてはいけない。芽が出るかどうかはわからないが、撒かないのに芽が出ることはないのだから。
マラソン大会がない。これは想像以上にインパクトが大きく、そしてマラソン大会以外のニーズが大きくなりつつある。マラソン大会ではないランイベントを立ち上げれば、意外と盛り上がるような気がするので、これは徐々に始めていこうとは思う。いくつかアイデアはある。ただ大義がないから始められない。
どんなイベントでも、何のためにするのかを明確にする必要がある。ただ楽しみたいだけというのは、イベントではなく遊びだ(もちろん遊びでもいいのだが)。ビジネスをしたいわけではないが、どうせやるなら人がお金を払ってでも参加したいという魅力あるイベントに仕上げたい。その考え方が足を引っ張っているのだが。
走れることで出来ることは意外とたくさんある。それをいかに魅力的に飾り付けできるか。いわゆるプロデュース力を問われるのだが、わたしにその才能があるのかどうかはわからない。そして、知ってもらうための広報も必要になる。これに関しては苦手だという自覚はある。大げさな表現が苦手だから、人を誘い込むということができない。
こういうときに1人であることに限界を感じる。最近、動画をやらないのかと聞かれることがよくあるが、考えてないわけではない。わたしのような貧乏なフリーランスが一発逆転を狙うには、芥川賞を受賞するかYouTubeで一発当てるしかない。だが、わたしに華があるわけではないので、1人ではどうにもならない。
いくらいい企画があっても、華のない人間の動画がブレイクすることはない。人間には努力では超えられない壁がある。わたしには人を惹きつける力はないから、動画を始めるには出演者を募る必要がある。当たるかどうかわからないギャンブルに人を巻き込むことはできないから、おそらくこの道は選ばない。
華がないわたしでも道が開けると感じたら何かを始める可能性はあるが、きっとそれは今年ではないだろう。残り3ヶ月でやれることではない。まだ芥川賞のほうが可能性はある。小説のネタは溜まりつつあるから。そうだ、小説は書き始めようと思うのだが、もう少し時間をうまくやりくりする必要がある。
何かをひとつ手放さないといけない。何かを手に入れるときには何かを手放さなくてはいけない。それが人生のルールってやつだ。両手いっぱいに荷物を持って背中に夢を背負って、1歩も動けなくなっている人が時々いるが「それを下ろせ」と言いたくなる。だが声は届かないし、それをする義理もないので見なかったことにしている。
今年も残り3ヶ月。
激動の1年をプラスにできるか、マイナスになるかはここにかかっている。いい1年になったと言えるように、何ができるか真剣に考え、動き出すとしよう。