好きなことだけをして生きていく【変化をおそれることなく】

ランニングが好きかと言われると、実はそれほどでもなく、でも止めることなく続いてるから好きなのだと思っていた。だがウーバーイーツの配達をするようになって気づいたのだが、きっと黙々と何かをすることが好きなんだろう。

ランニングもライディングもウーバーイーツの配達も、全部黙々と進めていくもの。いずれもうまくやるにはテクニックや経験なども必要になってくるが、それも含めて集中して作業をしている時間を好きだと感じている自分がいる。そういえば、プラモデルは組み立ているときが1番楽しい。ジグソーパズルも好きだった。

そうなってくると、ランニングは必須ではなくなる。いや、ランニングを止めるとかそういう話ではなく、自分の人生を豊かにしてくれるのがランニングだけではないという話。わたしの中ではウーバーイーツの配達も、楽しさはランニングもそれほど差があるわけではない。疲労しているときの配達はあまり楽しくはないが。

旅が好きなのも、きっとそのことが影響しているのだろう。旅というのは目的地がある。その目的地に向かう過程が好きなんだろう。目的地で何かを見たり感じたりするのはおまけのようなもの。移動しているという事実がわたしに心地よさを与え、旅をよりよいものにしてくれる。

わたしは何かに没頭していたいタイプの人間なのだろ。何故そうなったのかはわからない。何もしないという時間の使い方が苦手で、遊びの予定がなければすぐに仕事を入れようとする。フリーランスとはそういうものではあるが、きっとすべてのフリーランスが仕事ばかりしているわけではない。

そう考えるとウーバーイーツというのはわたしとの相性がいい。ライディングの仕事がないときに、好きなだけ働くことができる。朝から晩まで働いてもいい。体力に限界があるから、それをすることはないが、休みなく働くことを嫌だとは思わない。むしろ、望んでそちら側に向かっている。

働いているというよりは、好きなことをしているという感覚。ライディングもウーバーイーツの配達も、好きなことをしてお金をもらっている。ランニングに関しては、稼いでいるとは言い難いが、現物支給も併せて多少なりとも収入になっているし、陸上部経験もないのに情報発信をしている。

おそらくこれを「豊かさ」と呼ぶのだろう。もしくは「幸せ」と。わたしの人生に大きな窓と小さなドアのある家はないけど、これはこれで良いものだ(1年後にはブルーのじゅうたんを敷きつめている可能性もあるが)。足りないものを挙げればキリがない。人と比べると足りないものだらけだと気づく。

だからどうしたというのだ。

すべては手に入らない。村上春樹さんのような才能を持った人でもノーベル文学賞をもらえない。サブスリーも達成していない。でも、村上春樹さんは多くの人に愛されている。何かを手にしているかどうかは、わたしたちが思っているほど大切ではない。手にしたものは結果であり、大切なのは過程。そして、何を持っているかではなく、何ができるかだ。

わたしは黙々と粘り強く働くことができる。自分で考えて創意工夫をするというのも得意だと思っている。そういう強みを前面に押し出して、自分ができることをすればいい。できないことを頑張ってできるようになるのは美しいことだが、ベースとなるのは「できること、好きなことをする」という考え方。そして余裕があるなら苦手なことにも挑戦すればいい。

人は年を重ねるごとに自分に無限の可能性なんてない現実と向き合うことになる。でも、それはきっと悪いことではない。可能性が無限でないということは、自分のやるべきことに集中できるようになるということ。わたしはプロのサッカー選手にはなれないのだから、毎日ボールを蹴る必要はなくなる。

そうなれば別のことに時間を使えるようになる。そこに入ってきたのがランニングだったのだが、このランニングだって永遠ではない。いずれ何かがランニングに取って代わる可能性は大いにある。そのときに固執しない自分でありたい。好きなことだけをして生きていくために、過去の自分に引きずられないこと。

もっともここまでくれば、ランニングと縁を切るような機会がくるのはずっと先のことだろう。今はランニングをベースにできること、したいことを広げていく。やっぱり走ることも好きなのだ。走れる体であるうちは、どこまでも走り続けたい。

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