大阪府出身、45歳の重松貴志。この歳にして大人の階段の入口をまだ探している。いや、もう諦めた。もしくは最初から探していないか。今日45歳を迎えたわけだが、わたしの中で45歳というとキングカズのイメージが強いのだが、どういうわけだかキングカズはすでに53歳。
初めて三浦知良選手を近くで見たのは高校生のとき。サッカー部がボールボーイに駆り出され、そのときの試合がガンバ大阪対ヴェルディ川崎。圧倒的な存在感に近づくこともできず、いつかその背中に届くところに行くと決意したのがそのとき。そして、いまはサッカーとは縁のない日々を過ごしている。
こんなことを言うと笑われるかもしれないが、気持ちはキングカズの背中を追いかけた頃と1ミリも変わっていない。子どものように好きなことばかりして生きているし、やりたいことを追求し続けている。どうしたことか、大人の階段の入口に気づかないまま45年。
同級生の子どもは中学生や高校生になっている。わたしにもそちら側に行くチャンスはあったのかなと思ったりするが、引き返せるわけでもないし、今の自分が好きなので、もし目の前に階段があったとしても見ないふりをしてスルーするだろう(強制的に上らされる可能性はあるが)。
44歳は大きな変革の歳ににするつもりだったが、1年前にまさかこのような状況になるとは思いもしなかった。UberEatsの配達をするなんて働き方は想像することもなかったし、そんな方法で生活費を稼げるとすら思ってもいなかったが、今ではライティングとのツートップ。
ランニングを教えるようになるというのも、いずれとは思っていたが、このタイミングでスタートしている。マラソン大会はないから遠征することも減ったし、人と会う機会も激減している。こうなってくると目標を立てることがバカバカしくなってくる。
どう生きるかというのは人それぞれだが、わたしの理想は行雲流水。川を流れる水のように常に形を変化させ、風に流される雲のように抗うことなくどこまでも飛んでいきたい。ただ、そこに自分がいればそれでいい。こうありたいと強く願うこともなく、その時代に合わせて変化していく。
きっと45歳はそれを体現するような1年になるのだろう。世の中がどう変わるのかなんてわたしにはわからない。いい方向に転がる可能性もあれば、悪い方向に転がる可能性もある。ただ、どちらに転がったところでやるべきことは変わらない。
- 生きていくために稼ぐ
- 友人を大切にする
- 走り続ける
- 面白おかしく生きる
- 笑顔を忘れない
どんな状況になっても、これさえ忘れなければきっと「いい1年だった」と思えるだろう。それほど難しいことではない。45年間ずっとやってきたことだから、意識しなくてもできるだろう。窮地に陥ったときもそういう自分でいられるかどうかはわからないが。
個人事業主としても6年目に突入し、UberEatsのおかげで過去最大の収益となるだろう。だがここで満足するつもりはない。成功者になりたいわけではないので、たくさん稼げるようになりたいというのではなく、もっと人を喜ばせることができる働き方を目指す。
今はまだ、依頼された仕事があって生活できているが、これが完全にストップしても自分で稼げるようにする。そうすれば、自分の好きなことだけ情報発信できるようになる。そのレベルになるにはまだ5年以上はかかるだろうが、積み重ねないことにはどうにもならない。
結局はこれまでと同じように1日1日を大切に過ごすしかない。
18歳のまま大人になった。大人になりたくなかったわけではない。ネバーランドに憧れているわけではない。なぜかわたしには大人の階段を見つけられなかった。それでも歳は重なっていくし、終わりに向かって進み続けている。この奇妙な人生もいかに楽しく生きていくか。その指針を探してみるとしよう。