池江璃花子さんの「努力は必ず報われる」はとても厳しい言葉だと思う

先に書いておきますが、これから書く内容は池江璃花子さんを批判するものではありません。彼女のことを白血病から復活したアスリートくらいにしか知りませんし、人間性やどのようなタイプの人かもわかりません。その立場になったこともないので、彼女の苦しみもわかりません。

ただ、彼女がオリンピック出場を決めたレースで「自分がすごくつらくてしんどくても努力は必ず報われると思った」という言葉が自分の心の奥で引っ掛かったので、その引っ掛かりを整理するために文章化しただけのものです。彼女を好きでも嫌いでもなく、ただ1人の男がその言葉の何に引っ掛かたのかという話をしていきます。

池江璃花子さんがプールに戻ったのが2020年3月だったそうです。それから1年でオリンピック出場を手繰り寄せたわけです。驚異的としか言いようがありません。いや、水泳の世界のことはよく分からないので、本当に驚異的なのかどうかすらわかりません。ただ本人が1番驚いているようなので、すごいことなのでしょう。

では何が引っ掛かったのか。確かに彼女中心の物語を考えたとき、努力が報われたことになります。では他の競技者はどうなのか。彼女たちだって努力をしていないわけがありません。なんとかして代表の座を射止めようと、それこそ人生を賭けてスタート台に上がったわけです。

勝負の世界では報われる努力と報われない努力があります。私は報われない努力が好きなのですが、それはいま話しをするとややこしいことになるので、とりあえず置いておきましょう。確かの彼女の努力は報われましたが、同時に報われなかった努力がいくつもあるわけです。

勝負の場で「努力は必ず報われる」という言葉はとても残酷です。勝てなかった選手は「努力が足りていない」と言われているのと同じこと。現実はそうではなく、努力しても報われないことがあるというだけのこと。でも「努力は必ず報われる」の言葉はそれすらも打ち消してしまう強さがあります。

それが池江璃花子ほどの苦労をした人の口からでた言葉ならなおさらです。私が負けた側の立場だったら、競技から離れるかもしれません。それくらい精神的ダメージが大きく残酷で力強い言葉なのです。ブランクのある人に負けたという事実だけでも苦しいことなのに「お前の努力が足りない」という刃を突きつけられる。

繰り返しますが「努力は必ず報われる」がいけないと言いたいわけではありません。でもスポーツの世界にふさわしい言葉ではないんだなと、前々から気にはなっていたのですが、今回のことで確信しました。努力した者がすべて報われる世界なら言葉にしても違和感はありませんが、勝者と敗者のいるところに適した言葉ではない気がします。

ちなみに私の解釈による「努力は必ず報われる」は「努力は必ず報われる、ただし自分の期待した場所で報われるとは限らない」です。今回日本代表になることを逃した選手も、ここまで上がってきた努力は、将来のどこかで必ず報われます。それがどこなのかは私にもわかりません。

例えば就職活動をするときや社会人になって他社の人と話をするときに、「あのとき同じプールで泳いでいた」というのは強力な武器になります。もしかしたら良い指導者になるための糧になる可能性もあります。オリンピックを目指した努力が、オリンピック出場という形で報われるのは限られています。でも、それぞれ違う形で報われます。

この考え方が広まれば、努力が報われることが当たり前になり、誰もが「努力は必ず報われる」なんて言葉にしなくなります。逆に「努力は必ず報われる」と言葉にするのは、まだ報われない努力があると思われているからです。断言しますが報われない努力なんてありません。

本当に報われないなら、それこそ努力が足りない。もしくは努力したと思いこんでいるだけです。努力には目盛りがないのでどれだけ頑張ったかなんて誰にもわかりません。だから私たちは自分が納得できるベストを尽くすだけ。それを続けていれば必ず結果は出ます。あまりに思わぬところで報われるので、それに気づいていないだけで。

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