正論の裏にある現実【人生の選択肢で間違いなど1つもない】

昨日は大山トレランイベントをしたのですが、天気予報が雨ということもあり参加者が2人で、合計3人での山登り。頂上を目指しましたが、走力や天候を考慮して目的地を下社にして、そこからバス停まで下山。電車とバスで鶴巻温泉まで戻ってきました。

雨なので仕方ありません。中止にするという選択肢もありましたが、スタート時間は雨ではなかったので、臨機応変に対応すればいいかなと。結果的にはそこまで濡れることもなく戻ってこれたので、次第点の判断ができたのでしょう。

このあたりはかなり判断が難しいところでしたが、参加してくれた2人が柔軟な対応ができる人だったので助かりました。もしメンバーに「どうしても山頂に行きたい」なんて人が1人でもいたら、かなり面倒なことになります。なのでお金をとってのランイベントとかはしたくないなと。

私がトレランイベントをするときに大事にするのが、無事に帰ってこれるということ。過去に1人だけ大きなケガをしたことがあって、万里の長城マラソンに出場できなくなったという経験があるので、安全に対してはかなり敏感に反応するようになっています。

鶴巻温泉に戻ってきて、居酒屋五郎兵衛に行く前に、いつもどおり鶴巻温泉の日帰り温泉「弘法の里湯」に向かいました。あまり濡れていないとはいえ、体が冷えていますので温泉の暖かさが身にしみるものがあります。

弘法の里湯には内湯と露天風呂があるのですが、内湯でしっかりと体を温めた後に露天風呂に移動。お湯の質が違うのでしょうか、内湯のほうがかなりしょっぱいように感じます。でも体を冷やさえる露天風呂も捨てがたい。

そんなことを考えていたら、右隣で学生さんが2人でアルバイトについて議論していました。1人は「自分は勉強しか取り柄がないから塾のアルバイトでいい」と主張し、もう1人が「人生経験になるから飲食のアルバイトもしたほうがいい」と述べていました。

今どきの学生はそんなことまで考えるのだと感心しながら、「人生経験になるから」というのはどういうことなのだろうかと考えさせられました。確かにそれは正論に聞こえますが、現実社会において正解とは限りません。

もし飲食のアルバイトを経験したら、確かに「経験した」と履歴は残ります。でも「経験しなかった未来」を手放すことになります。さて経験することと、経験しないことは、その学生にとってどちらのほうがいいのでしょう?

私も20代だったら「経験することが大事」なんて言っていたかと思いますが、この歳になるとその裏側にあるものも見えてきます。経験しないことで進む世界線では、経験したことによる世界線とは違った未来がまっています。

どちらが正解だなんて、誰が答えられるというのでしょう。

いつの間にか世の中は「正解を選ぶことが正しい」世界になっています。社会全体で考えればそれは間違っていないように感じますが、それは失敗の確率を減らせるだけで、同時に跳ねる未来を削り取っている可能性もあります。

経験のために何かをやるということは、何かをやらないという未来を排除します。それは本当に正しいのか。正しいと胸を張って言えないなら、誰かに対して偉そうに講釈を垂れるのはかっこ悪いこと。まぁそこでやってしまうのが若さであり、それも経験。彼が友だちから煙たがられても、それも人生です。

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