不幸を避けたいと思うから神頼みが必要になる【氏神様を参拝する理由】

月が変わったので氏神様にご挨拶してきました。神様のおかげかどうかはわかりませんが、とりあえず1ヶ月目は大きなトラブルもなく、きちんと乗り切ることができたので。宿の運営として上手くいっているかどうかは私にはわかりませんが。

伊豆高原の富戸には2人の氏神様がいます。地元の人もよく参拝に来ているのが三島神社。この三島神社というのは東伊豆の海岸線沿いにいくつもあります。おそらく三嶋大社が関係しているのだと思うのですが、そのあたりの歴史には疎いので、またいつか調べるとしましょう。

もうひとつはお不動さんで、誰も入っていかないような道の奥にあります。1年に1回お祭りも開催されるようなので、地元の人だけが知っているのかもしれません。私は三島神社が海の神様だと思ったので、山の神様がいるはずだと思って調べた結果、お不動さんの存在を知りました。

これまで何度も言ってきましたが、私は神様も仏様も信じておらず、宗教にも興味はありません。でも、八百万の神はいてもいいなと思っていますし、日本人ですので仏教の考え方も多少は自分のベースに備わっています。お遍路もしていますし。

基本的にはどんなトラブルも自分の責任というか、自分でなんとか対処しなくてはいけないものだと考えています。神様に助けてもらおうなんて、そんな神頼みなんてするものではないと思っています。でも、自分ではどうしようもないことは神様のせいにしたりします。

それは悪いことだけでなく良いことも含めて。悪いことだけ神様のせいにすると、さすがに神様も機嫌を損ねてしまいます。幸運に恵まれたなら、それも神様のおかげとしておくのがフェアな考え方。そうすることで、自惚れたり調子に乗ったりしてしまうことも防げますし。

生きていると自分の力だけではどうしようもないことに出会います。仕方ないですよね、自分以外の人間が何十億人もこの地球上で暮らしているわけですから。みんなが自分の思いどおりにしようとしているなかで、自分の希望だけが通るなんてことはありえません。

納得できないことも起きますし、不条理なことが立て続けに起こることもあります。それを神様のせいにしておけば、怒る必要もなくなります。私の中で神様というのは自分勝手で、どうしようもない存在でもあるので、そんな神様がしたことなら仕方ないかなと。

でも、ちゃんと意味があったりもします。北海道では不条理なことばかり続きましたが、その経験がきちんと今になって活きています。あの5ヶ月は、伊豆高原での5ヶ月のためにあったのだとしたら、それは全部神様のおかげなわけです。

そこまで思うなら、なぜ神様も仏様も信じていないのかというと、宗教というものが苦手だからなのでしょう。信じるものは救われるとか、手を合わせてお経を念じれば救われるとか、他力本願なところがどうも自分には合わなくて。

やはり人間は、自分の力で道を切り拓いていくもの。そして、そもそも不幸なことや不運なことだって積むべき経験であり、避けるべきものではないというのが私の考え方。幸せになりたいとか、豊かになりたいという願望が年々薄れてきて、それよりはたくさんの経験を積みたいわけです。

不幸を避けたいと思うから神頼みすることになります。不幸を避けることなく、それによる悲しみなども含めて受け入れる自分になれば神様に頼る必要はなくなります。でも氏神様への挨拶は大切にしますけどね。神様に嫌われてもいいですが、その土地に嫌われたくはありませんから。

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