「夜9時以降に電話をかけない」ことに対する本質について考える

夜中の2時すぎに「まだやっていますか?」と宿への電話。あいにく満室でしたが、伊豆高原で夜中の2時すぎに部屋がなくて困っているというのはどういう状況なのか。宿泊していた部屋を追い出されたとか、別荘に泊まるつもりが鍵を忘れたとかそんなところでしょうか。

きっと最寄りのペンションに片っ端から電話したのでしょう。おそらく伊豆高原のペンションのオーナーはどこも寝不足になっていたはずです。こういうことがあるのが宿の大変なところ。常識的に考えて……が通用しないお客さんが一定数いるわけです。

でもお客さんが100%悪いかというとそういうわけでもなく、むしろそのお客さんは世の中の被害者でもあるわけです。「夜中の2時すぎに電話をしてもいい」世の中になっているわけで、新宿のビジネスホテルなら夜中の2時すぎに電話しても誰にも迷惑をかけることはありません。

そういう世界で生きている人には「夜9時以降に電話をかけない」という、固定電話時代の常識は通用しません。その常識をきちんと次の世代に繋ごうという話ではなく、「夜9時以降に電話をかけない」の本質の部分を日本人はいつの間にか失っているんだろうなというお話です。

「夜9時以降に電話をかけない」というのは、おそらく今どきの若い人は面倒くさいルールだなと感じるのかもしれません。そもそも電話なんてかけないという人も多いでしょうし、もしそのルールを押し付けたところで、本質まで理解してもらうのは難しいのでしょう。

ではその本質とは何か?それは「相手の立場になって考える」とか「相手に迷惑にならないように行動する」という考え方です。これはもう、私世代よりも若い世代はほとんど意味がわからないかと思います。いや、表面的にはまだ理解しているとは思います。

でも私たち世代よりも上の人たちのように、DNAに染み付いているということはありません。少なくとも私は徹底して教育され、自分勝手な行動を取ること事態が恥ずかしいことなんだと学んでいます。でも、スマホ世代はその感覚がかなり薄いように感じます。

なんでも発信していく世代だから、周りのことを考えていたら発信できなくなるというのも影響しているのでしょう。「自分はこう考える」これが軸にあって、少なくとも自分の人生においてはその軸を通す。それが他の人にどんな影響を与えたとしても、それは他人の内側で起きていることとして完結する。

もちろんすべての若者がそうだとは言いませんが、空気を読まない人の割合は年代が若くなるに連れて増えているはずです。なんだったら、空気を読むことがかっこ悪い行為になっている可能性すらあります。現代なら、空気を読んで自分を抑えるなんてダサいと考える人がいてもおかしくありません。

でも、やっぱり私たちは社会の中で生きています。他者がいるから自分が成立するわけです。だから、自分のアクションが誰かの迷惑にならないように心掛けることは、とても大切なんだと私は考えます。世の中はどうであれ、私はそれを大事にします。

若い世代からすればダサく見えたとしても、自分が損をしたとしても、自分の都合だけで自分以外の誰かに負荷をかけさせないようにしたい。もっともそれも思い上がりでしかなく、人間は誰1人として傷つけずに生きていくことがそもそもできません。

それにしても夜中の2時すぎに電話してきた人は、ちゃんと屋根のある場所で朝を迎えられたのでしょうか。ちょっとだけ気になります。そして人生とは何が起こるかわからないものですが、何かのはずみで私が転生した先が冬の午前2時、伊豆高原だったなんてことのないことを願っています。

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