18歳だった自分でありつづけるために努力し挑戦している

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わたしはいろんなことに挑戦するのが好きだし、いつも何かと向き合っていたかったりする。わりと前向きな性格に思われることもある。わたし自身もそう思っていたのだが、ある日突然気づいてしまったのだ。わたしは前に進むための努力をしているのではないのかもしれないということを。

わたしは前に進みたいのではなく、留まり続けようとしている。わたしは18歳だった自分でいようとしている。18歳だった自分でありつづけるためにいろいろと努力し挑戦しているのではないだろうか。これはピーターパンシンドロームとは違う。幼稚性を求めているのではなく、ある程度大人であり、ずるくて汚い大人になることを拒んでいる。

中谷美紀さんの代表曲に『砂の果実』という歌の中に「あの頃の僕らが嘲笑って軽蔑した、恥しい大人にあの時なったんだね」という歌詞がある。そうなのだ。恥しい大人になることを拒むためにわたしはもがいている。恥しい大人にならないために走り続けている。

わたしは嘘が嫌いだ。心の底から嫌っている。もちろんわたしにも人に言えないような秘密のひとつやふたつぐらいある。それでもわたしは嘘をつくことを徹底して避けるし、人を疑うようなこともしない。目の前にいる人を全面的に信じるし、まっすぐにぶつかっていく。誰かを騙して自分が得をするような行為は絶対にしてはいけない。

仲間を裏切らないこと。自分を裏切らないこと。

これはもう青臭いと言われようが、わたしの生き方として絶対的なものだ。そして、その根っこにある部分が18歳の自分なのだろう。まだ何者でもなかった自分、無限の可能性を持っていた自分。それを守るためにはまっすぐでなくてはいけない。どれだけ周りに騙されようが、騙されることを恐れてはいけないし、信じることを忘れてはいけない。

そのぶん、厳しいところも持っている。わたしが持っている性格の中で最もたちの悪い部分になる。わたしは信じられないと判断した人は遠ざける。もしくは自ら離れていく。これはもう徹底している。この性格のせいでどれだけの人と別れてきたのだろう。それでもすべての人を失ったとしても、この性格を変えるつもりもない。

18歳の自分でありつづけることがわたしが生きるということだ。もちろん体は衰えていくし、髪に白いものも増えていく。それでも気持ちはいつだって21年前と同じでありたいのだ。毎日が新鮮で、何も諦めないし、いつだって挑戦する姿勢を崩さない。美しいものを純粋に美しいと思える。そんなまじりっけのない自分でありたい。

それで損することもあるだろうが、誇りを持てない自分でいるよりも、自分自身を信じられなくなるよりもよっぽどマシだろう。毎日ワクワクドキドキしながら生きていきたい。そのために恥しい大人になんてなっちゃいけない。周りから笑われようがまっすぐ生き続けることをわたしは選ぶ。

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