世の中には追い込まれなければ本当の力を発揮できない人間がいる

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万里の長城マラソンの帰りに寄った青島でいろいろなことを考えた。これからの生き方について、万里の長城マラソンとの向き合い方について。結論は出ていないが、もっと必死に働こうということだけは決まった。給料をもらっている正社員としての仕事もそうだが、帰宅してからの仕事もこれまでは甘さがあった。

これまでは毎日「今日も終わらなかった」と思いながら布団に入ることが多かった。とにかく睡眠時間を優先して、会社での仕事が終わってから走りに行って、残った時間で作業。必然的に時間が足りなくなって、中途半端な作業で翌日に先送り。そうしているうちに新しい仕事がやってくる。

中国から戻ってきてからわたしはやり方を改めることにした。「終わるまで寝ない」これでいく。白目向いて失神する寸前まででも働こう。これから新しいことを始めるつもりなのだが、5年間は全力で働くことにする。それで結果が出なければわたしには素質がないということだ。ただ神様は頑張っている人を見捨てたりはしない。

設計の仕事ならわたしは他の人の倍のスピードでやれる自信がある。だから毎日定時で上がってもきちんと結果を出しているつもりだ。もっとも周りの人たちはそれがあたり前と思っているから、きっとわたしの仕事のスピードが世の中のあたり前だとおもうのだろうが、そういうのは失ってみないとわからないのだろう。わかってもらうつもりもない。

この仕事の質もスピードも社会人になって数年間、がむしゃらに働いて手に入れたものだ。毎日夜中の2時3時まで働いていた。とにかく周りの人から学ぶことだけに注力していた。そうやってわたしは実力をつけていったのだが、いまの自宅での仕事はそこまで力を入れきれていなかった。やはりどこか甘かったのだろう。

そんな状況から、睡眠時間を削りながら仕事をしていると社会人になりたての感覚が戻ってきているのを感じている。会社での仕事も考えながら眠りそうになってしまうのだが、そういう状態のほうが圧倒的にいいものができる。そういえば昔からそうだったような気がする。頭がスッキリしているときほど当り障りのない設計しかできていない。

逆に、いっぱいいっぱいのときに「最高」と思える設計ができる。世の中には追い込まれなければ本当の力を発揮できない人間がいて、わたしもその1人ということなのだろう。もっとも周りから見れば、うつらうつらしながら仕事をしているから、「なにやってんだ」と思われるかもしれないという最大の問題があるのだが。

設計の仕事はともかく、これからやろうとすることや万里の長城マラソンにおいてもその状態に持っていきたい。ずっと深く考えて、夢と現実の間にある解にたどり着けるぐらいにまで自分を成長させたい。そのために今日もモチベーション高く、ギリギリまで全力で働こう。仕事も遊びも無茶なぐらいがちょうどいい。

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