隠岐の島ウルトラマラソンの宿の予約を忘れて、これは久しぶりの野宿だと思っていたら、臨時フェリーの予約でJTBに電話したら「調整してみます」とのこと。そして本日無事宿を確保することができた。たまたまキャンセルが出たということで、これで憂いなく隠岐の島ウルトラマラソンに注力できそうだ。
もっともまずは目先の飛騨高山ウルトラマラソンに気持ちを集中させなければいけない。これまでウルトラマラソンを走ったのは昨年の飛騨高山ウルトラマラソンだけだ。そんなわたしが1ヶ月に2度のウルトラマラソンを走る。はっきりいってウルトラマラソンを舐めすぎている。だが、やってみなければどれぐらい無謀なのかはわからない。
少なくともランニングの神様はわたしに隠岐の島での宿を用意してくれた。隠岐の島はずっと行きたかった場所のひとつなので、ウルトラマラソンが開催されていると知って「呼ばれている」と感じている。わたしは神様や仏様も信じていないが、運命というものは強く信じている。
この世界は決められた流れがあって、あらゆることがなるべくしてなっている。映画や小説は出会うべきときに出会うし、人と人とも出会うべきタイミングで会うようにできている。信じるか信じないかはそれぞれの生き方に関わる問題なので深くは追求しない。ただ、わたしは断言する。運命は必ずあるのだと。
わたしが隠岐の島に行くのはむろん必然のこと。わたしは伊勢神宮に避けられている。それもちょっと尋常じゃないレベルで近寄らせてもらえない。その理由を探るべく、昨年は日本の神々が降り立った地、高千穂にまで足を運んだ。そして次に訪れる場所を隠岐の島とわたしは定めていた。そこに隠岐の島ウルトラマラソンだ。
人気の大会でエントリーもすぐに埋まるのだが、わたしは運良くエントリーできた。隠岐の島にはこの国の神様の秘密が隠されている…と勝手に決めつけている。わたしの中の妄想は止まらない。もしかしたらこの話でおもしろい小説が駆けるのではないだろうか。考えただけでもワクワクしてくる。
ちなみに隠岐の島には呼ばれているが、伊勢神宮と同系の出雲大社には呼ばれていない。こちらも避けられている感じすらする。こういうとことにはむやみに近寄らないほうがいい。そしてなぜか同じように避けられていた沖縄に、隠岐のあとにフライトする可能性が出てきた。こういうのは完全に流れだろう。
この流れに乗ってこの夏もう一度、伊勢神宮まで走ってみようと考えている。問題はそれをやってしまうと、今年も有給が不足してしまうということだが、そもそもその時点でわたしがいまの会社にいるかどうかもあやしいわけだ。それもひとつの運命だろう。もし伊勢神宮に呼ばれていれば何があろうとも行くことになるのだ。
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