24時間マラソンを2週連続で走り終えて確信したことがひとつある。24時間を走り抜くためには私の足についた筋肉は不要なものでしかないということだ。走りの終盤、筋肉は錘でしかなくただ走るのを阻害している。
筋肉がないと走れないじゃないかと思うかもしれないが、本当にそうなのだろうか。筋肉がないと足を守れない?それはそもそも走り方がおかしいのではないだろうか。
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馬は立派な筋肉がついているけど、走る続けることはできない。何十キロも無理して走らせ続けると潰れてしまう。あれだけの筋肉があるにも関わらずだ。
確かに筋肉は推進力を生み出すことができる。そのかわり老廃物を貯めこんでしまう。使い続けると筋肉が収縮するのをやめてしまうようにわたしは感じている。エンジンがオーバーヒートするように筋肉もオーバーヒートするのだ。
その対策として大きな筋肉で走れとか、ウルトラマラソンぐらいになると逆に大きな筋肉を消耗させるなとか聞くが、根本的に間違ってはいないだろうか。
人間は走って、走る続けて動物を追い込むという狩猟方法をしてきた。人間はこの地球上で一番走り続けられる生き物のはずなのだ。その理由はどこにある?どのようにして人間は走り続けてきたのか。
少なくともいまのランナーの走り方とはまったく違う走り方をしていたはずだ。この国でも200年前はいまのようは走り方どころか歩き方も違ったと言われている。
そして当時、1日100kmぐらいを毎日走る飛脚が存在している。江戸時代の話だから飛脚も家業なのだろう。脚が速いからなるのではなく、家が飛脚屋だから自分もなる。何を意味しているか。
才能に関係なく、人はそれぐらいの能力を持っているということだ。
わたしはその秘密を解き明かしたい。走るということの可能性をもっと高めたい。せっかくの無職なのでこれからその謎を突き詰めていくつもりだ。
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