わたしには好きなものがたくさんある。走ることが好き、美しいものが好き、頑張っている人が好き。JUDY AND MARYの「小さな頃から」が好き。カメラが好き。旅が好き。納豆が好き。
まだまだ好きなものはたくさんあってたぶん好きなものをあげていくだけでブログがいっぱいになるけど、読んでいる人は面白くないだろうし、たまたまこのブログを訪れた人がそれを見たら「こいつ頭おかしい」と思うことは間違いないのでこのへんで。
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こうやって書き出してみるといかに自分が恵まれているのかがよくわかる。例えばわたしがサモアに生まれたならこんないんも好きなものに囲まれた生き方はできなかっただろう。なぜサモアなのかは深く考えない方がいい。ただの思いつきだから。
嫌いなものはそんなにない。ただ「これはダメだ」と思ったときの嫌いなる感じは我ながらひどいと思うぐらいにざっくりと切り捨てていく。物でも人でもそのスタンスはあまり変わらない。
昨日まで仲良かった人でも何気ない一言で距離を置くようなこともある。中学のときの遊び仲間がおそらく何気なく言った一言なのだろうけど、わたしとしては重かったのだろう。その日以来その人とは目も合わせなくなったことがある。
そういうとききっと周りの人にしてみれば何が起こったのかわからずに困ったんだろうな。でもそれぐらい徹底して好きなものばかりを集めてきたような気がする。
もしかしたら自分に自信がなかったからそういうことをしてきたんだろうなと今ならなんとなくわかる。自分に自信があれば嫌いなものが身の回りにあっても気に押しなかったのだと思う。
自分に自信がないから居心地にいい空間を作ろうとしてしまう。
でも本当に大事なのは苦手だったし好きじゃないタイプのモノや人だったりするんだろうなとふと思った。裸足が好きだけど苦手なシューズを履くことで気づくことがあるように、避けたくなるような人からのほうが学ぶことは多い。
それは価値観が違うからで、価値観の違いのぶつかり合いの中からこそ革新的なものは生まれてこない。
チームやタッグを組むとき自分と似たような人と組むと気持ちは楽になる。でもそういうときはだいたい勝てない。サッカーでも仲の悪いメンバーとチームを組んだほうが結果が出やすい。
ちょっとずつ苦手なものも取り入れていこうかなと思う。仕事も遊びも。好きなモノばかりに囲まれていたのではわたし自身が成長していかない。重松貴志40歳!まだまだ伸び盛りですから!
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