地震について何かを書くとアラ探しが始まって「不謹慎だ」と炎上する。炎上させるほうにも問題があるのかもしれませんが、それはいじめられる方にも問題があると言っているのと変わりません。
ありますよ、いじめられる方にも問題。
でも、いじめられる方にも問題があるからいじめてもいい?
そんなわけありません。いじめられる方に問題があるとして、もし正義を貫くならその問題を解決することが本当にすべきことであって、いじめをすることはほんの1mmだって正義じゃない。
今回はそれぞれが自分の形で地震に向きあおうとしています。東日本大震災のときは衝撃が大きすぎて何も出来なかった自分と省みて、それぞれがすべきことを考え行動に移しています。
その中に確かに不謹慎なこともあるのかもしれません。いや、そもそもSNSなどで震災に関して「何かしたよ」アピールをするなと言う人もいます。少し前に寄付の話をしましたが、わたしは積極的にアピールすべきだと考えています。
1人の行動を見た人が「自分も何かしよう」と行動し、そこから行動の連鎖が生まれることがあるからです。
非常事態ですからすべてが上手くいくようなことはありません。そんなときに目立った誰かを叩いて何になるのでしょう?
今回の件に限らず、最近のネットを利用した個人攻撃は目に余るものがあります。
間違った行動をしている人を見つけたとき、優しく諭すことが出来ないのはなぜでしょう?愛情を持って涙を流しながら叱ることができなくなったのはなぜ?
本当はみんな他人のことなんて気にもしていないんじゃないでしょうか。そして他人のことは気にしないけど自分のことを気にしてもらいたい。他人の事なんて気にしないからおもちゃのように壊れるまで叩き続ける。
叩いたわたしはすごいでしょ?
このブログも読み手によってはそのような傾向を感じているはずですので、あまり偉そうなことは言えませんが、少なくともわたしは1対1でなければ戦いませんし、争いも嫌いだからそもそも戦いに加わるつもりもありません。
はっきり言いますが、ネットでの炎上はいじめです。
今回の地震関係で炎上した人たちのなかには軽率だった人は間違いなくいます。でも叩かずに包み込むように諭したらいいじゃないですか、涙を流しながら叱ったらいいじゃないですか。
なぜそうしない?
あの地震からまだ数日しか経過していません。
いまそれぞれがすべきことは、自分の人生をまっすぐに全力で毎日を生きること。
それだけ。
美味しいものを食べること、笑顔になることは決して不謹慎じゃありません。自分が行った支援についてSNSで語ることも恥ではありません。
自分に正直に行動すればいい。怖がらずに自分を信じて走りだせばいい。上手にできないからと何もしない人より、失敗し傷つきながらでも行動する人をわたしは愛します。
わたしに愛されたところでなんの得もないことは、ここであらためて言うまでもありませんが。
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