音楽はなぜ「音楽」と呼ばれるのか。
正確なことはわかりませんが、40年間生きていて初めて「音楽とは何か」ということに気づいた夜でした。
裸足仲間に誘われて向かったのは新大久保にある「Kei Sound Space」では、金曜日の夜にだけ特別なFriday Night Liveが行われます。
そこでは小林洋さんのピアノと小林桂さんの歌声を楽しむことができます。
音楽に詳しい人はご存知だと思いますが、小林桂さんは日本ゴールドディスク大賞やジャズ・ディスク大賞ヴォーカル賞を受賞している、人気のジャズ・ヴォーカリストです。
もちろん音楽オンチのわたしがそんなことを知る由もなく、ただ素敵なJAZZを聞けるということだけに、好奇心のレーダーが反応し誘われるがままKei Sound Spaceにたどり着きました。
Kei Sound Spaceは20人も入ればいっぱいになる小さなスペースですが、この距離感が音楽を楽しむためには最高の環境なのかもしれません。
ラフな普段着姿の父・小林洋さんのピアノで始まるのですが、最初の数秒で「これは禁断の扉かもしれない」そんな感覚がわたしを覆いました。
JAZZやクラシックはもっとかしこまって聴くものかと思っていましたが、小林洋さんが鍵盤を弾くと、音の1つひとつがメロディの上で飛び跳ねます。とてもかしこまってなんていられません。
「あぁ音楽というのはこういうことだったんだ」
音が楽しそうに弾け飛んでいるから「音楽」、小林洋さんが鍵盤をひとつ弾くたびに、まるで生きもののように小さな音符がピアノの上で踊ます。
数曲のピアノ演奏と小林洋さんの楽しいトークのあと、小林桂さんの歌が始まります。
彼の歌声の素晴らしさもさることながら、「歌は技術」なのだということに気付かされます。
歌をうたうことは誰にだってできます。
ただそれだけでは歌で表現できることが限られてしまいます。歌う技術を何度も繰り返し練習し、その技術を身に付けることが「歌手」であり、それは歌の上手下手の先にある、わたしの知らない世界でした。
でもよく考えたらランニングにも似ています。
誰でも走ることはできますが、上手に走るには技術が必要です。繰り返し何度も何度も練習し、技術を習得した人の走りと、ただ走っているだけの人とではその美しさもスピードもまったく違います。
ただし、そんな理屈のようなものは曲が進むにつれてどうでもよくなってきます。
ピアノから流れるメロディと心地よい歌声がによって、まるでわたし自身が音楽になったような不思議な感覚に包まれていくのです。目は自然と閉じ、体がリズムに合わせて動き出します。
気がつけばわたしの手の指がリズムに合わせて動き始めます。
ピアノなんて学校の授業程度でしか習ったことがないのにまるで、ピアノを弾いているかのように指が動くのです。
そして気付きました。これは鍵盤を弾いているのではなく、キーボードを叩いている動作なのだと。
1日16時間もキーボードを叩き続けた結果、わたしの指はわたしが思っている以上に繊細なものとなり、そして体のどこよりも敏感にJAZZのリズムに反応したのです。
心も体も完全に音楽に支配され、その瞬間は無防備に心臓をさらけ出していたのかもしれません。そこには思考も何もなく、ただただ気持ちいい快楽の世界でした。
そしてこの音楽による快楽は、わたしを一生支配することになるのでしょう。
禁断の扉
この気持ちよさを知ってしまったら、もう後には戻れません。
40年間音楽に無縁だったわたしが、数日前にC-POPの美しさに惚れ、そしてこの夜、JAZZの、いや音楽という快楽を知ってしまいました。
Kei Sound SpaceのFriday Night Live、わたしは再びここに戻ってくることを確信しています。
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