才能がないからこそ思う「世の中は意外と公平に出来ている」

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才能ってなんでしょう?

わたしはいま、物書きとしてある一定の評価をもらい仕事を発注してもらっています。でもそもそも書く才能があったわけではありません。

以前のライブドアブログで書いていた初期のブログを読むと、「ひどい」という表現にも値しないレベルでひどいものです。

そこから10年近い年月、毎日のように書き続け、いまは毎日2万文字程度の文章を書いています。

その積み重ねがわたしの文章力の基本になっているため、決して才能ではありません。

じゃあ誰にででもできるのかと聞かれるとそんなことはなく、どんなに頑張っても文章を書くことが苦手な人もいます。少なくともわたしは高校時代まで得意教科は「国語」でした。

それは才能じゃないかと言われると困りますが、国語が好きだったのは、小さな頃からおもちゃではなく、本を読む機会を与えてくれた親の存在が大きいのではないかと、わたしは思います。

じゃあ才能なんて世の中にないのかというと、そんなわけはなく世の中には才能を持って生まれた人たちが大勢います。特に苦労することなく1kmを3分で走れる人がいます。特に努力せずに世界の頂点に立つ怪物が世の中にはいるのです。

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若いころは自分にも何らかの才能があって、それがまだ見つかっていないだけだと思っていましたが、どうやら見つかっていない才能は隠れたままこれからの人生も送ることになりそうです。

それが悲しいことかというと、おかしなことにほんの少しも悲しくもありませんし悔しくもありません。

誰かの才能を羨むこともなければ、出来ない自分を残念に思うこともありません。

別に160km/hの直球を投げられなくても、わたしの毎日が色褪せることもありませんし、孫燕姿のような透き通るような歌声で歌えなくても、わたしの未来が霞むわけではありません。

きっと人にはそれぞれに役割があって、わたしにはわたしの役割があります。

その役割を果すために人間はそれぞれに凸凹しています。

その凸凹が個性であり、その出っ張りが才能だとすれば、誰かの出っ張りを気にするよりも、自分の凸凹が何の役に立つか考えたほうがよっぽと意味のあることです。

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それぞれに飛び抜けた才能がなかったとしても、小さな凸凹は必ず持っています。

その凸凹がちょうど合う異性がいたなら、それが恋愛につながり、その凸凹がちょうど合う仕事があったなら、それが天職というものかもしれません。

そして平凡な出っ張りも磨き続けるとある日突然輝き出すことがあります。「天才は1%のひらめきと99%の努力」からってやつです。

もっともこの名言は努力の素晴らしさを言いたかったのではなく、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる」と伝えたかったそうですが。

どちらしにても大差はありません。自分の出っ張りを磨けばいい。世界最高の才能でないとしてもでっぱりを磨き続ける。

エジソン風に言うならば、「出っ張っていない部分をいくら磨いても、それは無駄な努力となる」といたっところでしょうか。

正直、無駄な努力になってもいいんじゃないかとはわたしは思いますが、それでは話の落とし所がないので・・・

わたしたち凡人は才能の有無なんて語る必要もなく、ただ自分に与えられた役割をみつけ、そのためにでっぱりを磨く。

もしかしたら自分の出っ張りにぴったりな誰かのへこみを埋めることができるかもしれませんし、出っ張りを磨くことでたったひとつの笑顔を作り出すことができるかもしれません。

才能があるからできることもありますが、才能がないからできることもあります。世の中は意外と公平に出来ています。

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