先日ラン仲間に「あまり自撮りばっかりしてると女の子に嫌われるよ」と忠告されました。一応書いておきますが、自撮りというのはtwitterやfacebookにアップするためにスマホで自分を撮影することです。
その時は別に気にしていなかったのですが、あとになって「おぉそういうことか」と腑に落ちました。決してわたしがモテない理由についてではなく、そういう基準で行動を選ぶという考え方があるんだなということです。
周りからどう見られるか、どう思われるかを考えて、悪い方向に向かないように調整するという生き方。もしかしたらわたしにはそれが不足しているために、こんなファンタスティックな生き方をしているのではないだろうかと。
わたしはあまりというかほとんど、周りからどう見られるかということを考えません。こういうことをしたら周りにどう思われるということも。もちろん小さな頃からそうだったわけではありません。41年の歳月がこういうわたしをつくりました。
わたしは自分ことを1mmだって特別な存在だとは思いませんが、自分自身が選んだこと、自分自身がやろうと決めたことに対しては100%の自信を持って、自分を信じて行動をしています。
人間ですから多少の後悔はしますが、一晩寝たらだいたいのことは忘れてしまいます。
わたしの高校時代にはポパイというファッション雑誌が流行っていました。同世代の人たちは覚えているかと思います発売日にポパイを買ってきては、最新のファッションや世の中の恋愛事情などをチェックしてはワクワクしていました。
ジーンズにMA-1、そして大学時代はやや長めの髪を染めたりもしていたものです。その頃はまだ周りからどう見られるかを意識していた時代でした。やっぱりモテたかったし、周りにたくさん仲間がいる状態を気に入っていました。
ただ同時に孤立する時間も増えていきました。仲間と一緒に過ごす時間と孤立する時間。不思議なことに孤立しているときに寂しいだとか、そんな感情が湧いてきたことはなく、むしろ居心地の良さを感じてさえいました。
孤立しているときは誰にも気を使わなくていいですし、自分の好きなようにしても誰も反対しません。
高校1年のクラスでは完全に浮いた存在でしたし(こんなところにいても意味ないから学校を辞めようかとも思っていました)、高校のサッカー部でも後半は単独行動をすることが増えていました。高校1年のときはサッカー部という存在に守られていましたが、高校の後半はクラスの仲間という存在に守られていました。
この孤立と仲間がいる時間のバランスというのは今でもずっと続いています。仲間といる時間も楽しいし、孤立する時間をとてつもなく大切にしています。このバランスを上手に取れるようになったころから、わたしはポパイを買わなくなっていました。
流行を追うこともせず、髪を短くして自分のやり方や、自分の決めたことをとことん突き詰めるスタイルをゆっくりと確立していったように感じます。誰かを羨むことも減っていったように感じます。
もちろん、いまでもちょっといいなと思う子には振り向いてもらいたいなと思うことはありますが、その子が自分の方を向いてくれないことに何も感じませんし、それはそれで仕方がないことと受け止めるようになっています。
自分の好きなように生きていれば、それを受け入れられない人はたくさん出てきますし、わたしの言動にイライラする人がいて当たり前のことです。どれだけ八方美人でいようとしても、必ず隙はできてしまいます。
だったらどの方向も向かなければいい。自分が楽しいと感じたこと、喜んでもらえると感じたことに向かってまっすぐに入ればいいんじゃないかと思うわけです。
その結果、離れていく人もいれば近づいてくる人もいる。それで十分だと思います。自撮りばっかりしてちょっといいなと思う女の子に嫌われても、わたしの人生がその子を喜ばすためだけにあるのでなければ、自分のやり方を変える必要はないかなと。
嫌われるということは、その一方で好きになってくれる人が必ずいます。世の中はだいたいプラスマイナスゼロに収束するようにできています。いや、わたしはそうできていることにしています。いいことがあれば、それだけ悪いこともある。
難しい道を行けば、その先に必ず喜びがある。楽な道を行けば、その先で必ず苦しむことになる。嫌う人が出てくれば、喜んでくれる人が出てきます。
そして喜んでくれる人の期待に応えることができればそれで十分です。
地球上にいる70億人すべてに好かれるなんてことは不可能です。出る杭は打たれると言われますが、打たれたくなければ出なければいいのですが、わたしは出たいわけです。出たいというよりも自分の好きな方に進んだらいつも出ているというだけのことなのですが。
ただ、なぜかわたしはあんまり叩かれません。小さすぎて出っ張ってもみんなと同じくらいにしかならないのか、もしくは叩く気にもなれないほどどうでもいい存在なのか。基本的に争いが嫌いなのでありがたいことですが。
人と違うことをすると必ず足を引っ張る人がいると言われますが、少なくとも会社を辞めて1年間で足を引っ張られたことは一度もないどころか、みんなが支えてくれるのを感じています。
嫌われることを恐れなければ、嫌われたことに気づかなかったりするのかもしれません。
いずれにしてもわたしが万人受けするタイプでないことを理解していますし、すべての人に好かれようなんてことは考えてもいないので、自撮りは続けていくんだろうなとは思います。それを見て笑ってくれる人が1人でもいるうちは。
周りとうまく合わすことができない。そんな自分だから今こうして自由の中で生きられるわけです。あれもこれも手にすることができない人生でわたしが選んだ道がこれですから、あとは自分を信じて前に進むだけ。
そう見せかけていきなり方向転換したりもしますけどね。
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