坂本龍馬に憧れて、新撰組に共感しあの時代の歴史が大好きなのに、なぜか西郷隆盛という人物には興味を持つことがありませんでした。
180cmで100kgを超える巨漢をイメージしただけで、161cmで54kgのわたしとは相容れないものがあるような気がしていたのかもしれません。坂本龍馬と新撰組の視点からの西郷隆盛と薩摩藩。当然いいイメージがありません。
ところが今年は鹿児島マラソンに参加することになったため、鹿児島に行くなら薩摩藩、西郷隆盛を避けて通るわけにはいきません。楽天koboで電子書籍版の池波正太郎「西郷隆盛」を購入したのが2ヶ月前。
購入したもののやはり西郷隆盛では気分が乗りません。ところが最初の1文を読んだのが2日前の夕方で、読み終えたのが昨日の夜。こんなスピードで本を読んだのは久しぶりです。
実は池波正太郎さんの小説を手にするのは初めてです。別に苦手という意識があったわけではありません。西郷隆盛と同じように、なぜか縁がなかっただけです。わたしの読書癖はどうも同じ作家さんに偏るようで。
読み終えて思うのは、これこそいま読むべきタイミングだったのだなということです。わたしの持論では本は必ず読むべきタイミングでやってきます。
世の中に無数にある本は、出版されたタイミングが読むべきタイミングとは限りません。それを手にしてページをめくるべきタイミングというものがあり、池波正太郎さんの西郷隆盛はまさにいまのタイミングだったのでしょう。
もしわたしが会社員をやっているときに読んだら、大変なことになっていたような気がします。
坂本龍馬は自由な発想と行動力が魅力の男です。夢半ばで倒れたことで、さらに英雄として語り継がれています。ところが西郷隆盛は薩摩の人間。いまだに日本の政治の中心が長州閥だということもあり、どこか軽んじられているように感じます。
実直で曲がったことが大嫌い。それでいて温厚で誰にでも平等に接する裏表のない人間。それが池波正太郎の表現した西郷隆盛のイメージでした。
小説ですので事実と同じとは限りません。ただ、歴史の証拠として残っているものをつなぎ合わせると、わたしの理想としている人間像に限りなく近いように感じました。
質素倹約に努め、陸軍大将であるにも関わらず、決して奢ることのない人柄。誰からも慕われて、いつも誰かが周りに集まってくる。
人を相手にせず、天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし
西郷隆盛も素晴らしい人物ですが、こういう考え方が次の世代にしっかりと受け継がれていった時代だったんだろうなと思うわけです。例えば第7代台湾総督の明石元二郎は福岡の出身ということで西郷隆盛の思想の影響を受けているのように思えます。
どんな偉い立場になっても私利私欲に溺れない。決してふんぞり返ることなく、自分を誇示するようなことをしない生き方は、今のわたしの心にスッと入り込んできます。
誰もが自分のことばかり考える時代で、自分の利益なんてどうでもいいと言いきれる自分になれるのか。そんな器の大きなおとこになれるのか。わたしの中でほんの少しだけあったその迷いが消えてなくなりました。
江戸から明治へと切り替わる激動の時代の流れの中で、そのような生き方をした人が実際にいたわけです。こんな豊かな時代においてまっすぐに生きることは大変だと言うのは愚かです。
西郷隆盛の座右の銘は「敬天愛人(けいてんあいじん)」。これをそのまま自分の座右の銘とするようなことはしませんが、まずはわたしの心の中にしっかりと刻んでおきたい言葉です。
いや、わたしの中にすでにその考え方があり、それがいまようやく西郷隆盛という稀代の英雄とつながりました。迷いなく敬天愛人を貫いていこうと思います。
3月の鹿児島マラソンが一気に楽しみになってきました。
西郷隆盛の歴史を追う旅ラン。その前に予習しておかなければいけないことが山のようにありそうです。島津斉彬や大久保利通。まだまだ知らなければいけないことが多そうです。
坂本龍馬や新撰組のような華やかさはなくても、しっかりと地面に根を張った生き方をした西郷隆盛という男。しばらく追い続けることになりそうです。
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