昨年11月のトレイルレース(FTR100)中の滑落死亡事故の事故調査報告書を読みました。山が危険な場所であること、事故は想定外のところで起こるということがよく分かる内容でした。
わたしはトレイルランナーではありませんが、山を走る1人として、考えさせられることもあります。
すべてのトレイルランナーに読んでもらいたいというより「読め」と強く言いたいくらいの内容です。下記リンク先から事故調査報告書を見れますので、まずは各自目を通してください。
Fun Trails:http://fun-trails.com/race/2017/100k/
報告書の中では、山は危険な場所であり、そこで危険な競技をしているという感覚が欠けているというニュアンスのことが書かれていました。これは何もトレランだけのことではありません。
フルマラソンだって決して安全な競技ではありません。毎年のように心肺停止などのトラブルが発生しています。
ジョギングは健康的な運動ですが、マラソンは長期的にも短期的にも体にとってはネガティブな要素の高いスポーツです。ほとんどのランナーは体のどこかにトラブルを抱えていますし、体内の細胞が活性酸素により酸化して、体の老化が促進されています。
おそらくランニング中の交通事故も少なくないはずです。
トレランなら、山で転んで擦り傷が絶えない人もいると思います。でも、みんな「死ぬ」ということをイメージできていません。トレランを好きな人の中には、ケガをするかもしれないというリスクを楽しんでいる人もいます。
きっとそういう人たちの頭の中では、ジェットコースターに乗るような感覚で、恐怖感に浸っているのかもしれません。でも、大事なことは「人は死ぬ」ということです。それも、驚くほどあっけなく。
これはどれだけ安全に気をつけていても起こります。大会側ができる安全対策には限界があります。以前、東京マラソンのテロ対策はテロを封じる効果はないという記事を書きましたが、それと構造は似ています。
100kmある山道のすべてで安全を確保することはできません。木の根につまずいて、バランスを崩した先に尖った木の枝があれば大惨事になります。
100%のテロ対策をするには開催しないという選択肢しかなくなります。トレランだってマラソンだって、100%トラブルなしにしたいなら、開催しないという道しか残されていません。
でもそんなこと誰も望んでいません。いや、一部の人たちは「なくなればいいのに」と思っているかと思います。それでも大多数は、リスク回避のために開催を中止すると、失望の声をぶつけてきます。
自分がその当事者になるなんて、ほんの少しも思ってないから、自分だけは大丈夫と思っているからそういうことをします。そうはいっても、自分の死をイメージできる人はいったいどれだけいるというのでしょう。
それを教育して、本当の意味で当事者意識を持てる人はどれくらいいるのでしょう。
事故調査報告書には、リスクがあるということを伝えることの重要性が書かれています。理屈の上ではそうだし、正論だと思います。でも、世の中は正論だけで成り立っているわけではありません。
わたしは「毎日30分くらい走ればフルマラソンを歩かずにゴールできる」と言いうと「分かっているけど、それができない」と返されます。
山の危険性について学ぶことがとても重要だということは、ほとんどすべてのトレイルランナーが分かっています。
でも、それを行動に移せる人は少数派です。運営側は(FTR100に限らず)そのことを頭に入れなくてはいけません。いくら重要性を説いても、聴く側が当事者意識を持って対応できないなら意味はありません。
ではどうすれば当事者意識を持てるのか。
これはもう痛い目に合わないと変えることはできません。本当に命の危険を感じるようなことをした。もしくは身近な人が亡くなったり、危険な状態に追い込まれたりしない限り、まず自分のあり方を変えることはできません。
これは万里の長城マラソンという、とてつもなく危険なコースでレースを開催しているわたしも肝に命じておく必要があります。
100%の安全はなく、レースを走るすべての人たちに危機感を持ってもらうこともできません。
その上でどこまで安全対策を行うのか。そして安全ばかりに足を引っ張られすぎて、その競技の持つ魅力を削っていないか考え続ける必要があります。
学校で同じ授業を聞いていても、100点を取る人もいれば赤点しか取れない人もいます。「トレランは危険です」をいくら伝えたって、相手の心に100%届く可能性はとても低いことは、わたしたち自身が身をもって証明しているかと思います。
だからといって啓蒙活動が不要だとは言いません。それはしないよりはした方がいいに決まっています。
ただそれで事故を完全に防げるとは思わないことです。トレランにだって予算があるはずです。スポンサーのサポートがあるとしても、微々たるものです。まさか持ち出しで大会を開催するなんてできませんので、安全対策もどこかで線引きをしなくてはいけません。
「ここまではする。あとはランナーの責任で自分の身は自分で守ってほしい」そのアナウンスをどうやって行うべきなのか、わたしを含めたマラソンやトレランの主催者に与えられた大きな課題です。
ただ、「人は死ぬもの」という部分に関しては、マラソンやトレランといった限られた世界ではなく、もっと広いところで議論され、共有されるべきことだと、わたしは思います。
他の国は知りませんが、この国で暮らす人たちに決定的に欠けている感覚ではないでしょうか。
それをトレイルランナーだったら意識しろ言われても無理があります。危機感は暗記で身につくものではありません。危機感は、本当の身の危険を何度も味わった人でないと身につけることはできません。
そういう経験をしなければ、そもそも「危機」が何なのかすらわかりませんから。
ただ、ひとつだけこの状況を打破する方法があります。それはトレイルのトップランナーがあらゆるメディアを通じて、山が危険なものであることを、人が死ぬ可能性について情報発信をしていくことです。
インタビューを受けるたびにそれを記事にしてもらいます。山の楽しい部分を語ることも大切ですが、厳しい部分ももっと語っていかなくてはいけません。それをするとトレランの人気が落ちてしまうので、トレラン業界としては禁句としていることなのかもしれません。
でもトレランの発展と人の命のどちらが重いかを考えれば、すべきことは自ずとわかるはずです。
安全ではないという認識をきちんと持った人が山を走る。それでも事故は起きます。それでも死ぬはずのなかった人が死んでしまうわけではありません。覚悟を持った人が山を走り、そして山で生命の火を消すだけのことです。
そんな簡単には割り切れないのはわかります。でもトレランの人気を維持し続けるレベルで「山は危険です」なんて言い続けても何も変わらないと、わたしは思います。
「そんなに危険なら止めておこうかな」というくらいの厳しさを、トップランナーが伝え続けられるかどうか。「そんなに危険でもあの人のように楽しく走ってみたい」そう思わせる走りを見せられるかどうか。
言ってることは無理難題ですし、そんな責任を押し付けられるのも嫌でしょうから、もし仮にトレランのトップランナーがこの記事を読んでしまったなら、見なかったことにしてくれればいいかと思います。
もし山のリスクや、危機感とはどういうものか少しでも触れてみたいという人がいれば、下で紹介している「だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール」を読んでみてください。
知らないうちに文庫化されてたので、648円で買えるみたいです。この内容をそんな値段で売っていいのかと思うくらい山について学ぶことの多い1冊です。
著者:小林 紀晴
楽天ブックス:だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール (幻冬舎文庫) [ 小林紀晴 ]
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