昨年は裸足でサブ4となった花蓮太平洋縦谷マラソン。このときの年代別順位が8位だったので「シューズを履いたら入賞できるかも」という淡い期待が湧いてきました。総合で3位以内に入れば賞金ももらえるので、自分の中で妄想がはかどります。大好きな花蓮のホットサンドをいくつ食べられるだろうとか。
しかも今シーズンの目標がサブ3なので、花蓮太平洋縦谷マラソンをトレーニングの一環として取り組めば一石二鳥です。まさかここでサブ3達成はないのでしょうが、直前に10kmの自己ベストを更新しているので「ひょっとしたら」という思いがなかったというと嘘になります。
それはともかく30km走のつもりで、4分15秒/kmで30kmまで押し通す。あとは順位などを考慮して決めるというのがわたしのレースプラン。そこで入賞も難しいのであれば残りは流しますし、入賞圏内ならその位置をキープすればいい。そんな甘いことを考えていたのですが、開始1kmで悟りました。
「今日は自分の日ではない」と。
スタートはそれなりに前側にいたつもりだったのに、号砲とともにあっという間に囲まれてしまい、トップはかなり先にまで行ってしまいました。そこから前に出ようとするものの思ったようにスピードが上がりません。強烈な向かい風に押し戻されそうになったというのもありますが、最初の1kmが4分28秒です。
気を取り直してペースを上げたのもあり、次の1kmが4分14秒。これでまずまずかなと思ったのですが、そこからがどうにもなりません。呪われたかのように足が重たくなり、地面の反発力をもらってくれません。自分なりにがんばっても4分20秒/km。
でもそのペースではとてもじゃないですが、42kmを走れそうにありません。確実に後半に潰れると感じたので、自重して4分25秒/kmまでペースを落とします。ちょうど女子のトップと並走する形だったので、この女性と前後しながら走る作戦に変更しました。
この時点で30km走のプランはなくなります。ならば狙うのは入賞のみ。ざっと数えてみたら、わたしの前方には8人のランナー。ということは5位までの総合入賞はかなり厳しい状況。4人も前方から落ちてくることは期待できません。自分が脱落してもおかしくないのに。
そうなると次に考えるべきは年代別入賞。年代別入賞は総合入賞の5人を抜いた中から、36−45歳までの年齢で3位まで。もし6−8位の選手がすべて36−45歳ならわたしは年代別入賞もできないことになり、なんとも微妙な位置にいるわけですが、ここで焦っても仕方ありません。
マラソンは42kmを走り終えたときの順位が大事です。途中でどんなに独走しても失速したのでは意味がありません。自分の前にいるランナーはみんな、わたしよりは走力が高いのでしょうが、落ちてくる可能性がゼロではありません。往路は最初の2kmが向かい風ですが、次の20kmは追い風になります。
そして復路が向かい風になるので、潰れるランナーもいる。他力本願ですが、こればっかりは仕方ありません。
私にできることは、とにかくペースを維持して、最後まで走り抜く。運が良ければ入賞できるし、運が悪ければ入賞できないだけのこと。並走している女子選手と抜きつ抜かれつしながら、これ以上スピードが落ちないように粘ります。彼女は下りが得意で、わたしは上りが得意なので、上手く引っ張り合いながら前方のランナーを追いかけます。
ところが22km地点の折返しをしたところで、状況が一変しました。往路は追い風のはずだったのですが、走っているときには風に押される感覚がほとんどなく、「これなら復路も楽に走れる」と思っていたらとんでもない。足が浮いてしまいそうな強風が向かいから吹いていました。
残り約20kmで、もうペースがどうこう言える状況でなくなり、とにかく足を止めないことだけが自分の課題となります。コースそのものもアップダウンがあり、向かい風に上り坂が続くと4分50秒/km近くまでペースが落ちます。救いだったのは前方のランナーが視界に入ってきたこと。
苦しいのは自分だけではないようで、折返しでずっと先にいたはずの上位ランナーの背中が徐々に大きく見え始めます。ほとんど歩くようなスピードにまで失速していた2人を立て続けに抜き去り、7位に浮上したことで気持ちに余裕が出てきました。このまま走り抜けば年代別入賞は確実です。
取らぬ狸の皮算用。
ここからは無理せずに安全に走ろうと思った瞬間に、後ろから大きな足音が聞こえてきました。わたしが向かい風に苦しんでいる間に、後方の台湾人ランナーが同じように距離を縮めていたらしく、7位から8位に転落します。
ここで引き離されるわけにはいかないので、女子のトップと一緒になんとかその台湾人ランナーにくらいつき、3人グループが形成されました。こういうコンディションにおいて集団はかなり有利です。先頭を順番に変わっていけば向かい風の影響を最小限に抑えられます。
ただ、集団になったところで2人が前に出ようとしません。仕方がないのでわたしが集団を引っ張ります。とはいえ、先頭でスピードを維持できるような生ぬるい風ではなく、徐々に体力を消耗していきます。わたしのスピードが落ちたところで女子選手が前に出てくれるものの、1分も頑張れず後退。
もう1人の男子選手は、後ろにつかれるのが嫌なのかまったく前にでようとしません。わたしに追いつくまでにそれなりに消耗していたのかもしれませんが、これはよくありません。協調があってこその集団です。チームではないので、お互いが引っ張り合うのが基本。
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こんなところでマラソン論を語っても仕方がないので、わたしが引っ張り続けるわけですが、残り5kmとなったところで、2人が仕掛けてきました。わたしのペースが落ちたところを見計らって追い抜き、そのまま置き去りにしようという意図を感じます。
これもレースです。
なんとかして食らいつきました。利用されるだけで利用されて置き去りにされるなんて、日本人ランナーとしてのプライドが許しません。ただ、何度も仕掛けられると心身ともに余裕がなくなってきます。
そして残り3km。男子選手にスパートをかけられた瞬間に「これはついてけない」と、心の羽が折れる音が聞こえました。ただ、その瞬間に男子選手が両手を腰に当てたのも見逃しませんでした。「苦しいのはお互いさま」と思い直して、わたしはここで勝負をしかけます。
ここからの区間ラップが4分10秒/km。後ろを振り返る余裕はありませんが、2人の足音が遠くなるのを感じました。逃げれば7位確定です。
ただドラマはまだ終わりません。残り1kmになったところで、折り返しで4位にいたはずの万里の長城マラソン仲間が目の前をトボトボ走っています。完全に気持ちが切れて大失速をした状態です。しれっと抜いていこうかと思いましたが、「何をしてるの!」と発破をかけて、残り1kmの並走をうながします。
そこで、息を吹き返した彼が再びわたしの前に入る形になりましたが、ゴール前で追い抜けばわたしは6位に浮上です。ラスト20mで一気に追い抜けばいい。そんな思いで力を残していたのですが、残り300mとなったところで、背中にプレッシャーを感じました。
置き去りにしてきた2人のどちらかが近づいている。振り返らなくてもわかります。
女子選手ならわたしの順位には関係ありませんが、男子選手なら抜かせるわけにはいきません。まだタイミングが早すぎるとわかっていましたが、嫌な予感がして、わたしはスパートを仕掛けます。一瞬だけ6位に上がりましたが、わたしよりも走力が高い万里の長城マラソン仲間は、すぐに反応して抜き返えされました。
そして、そのまま彼の背中を見ながらゴール。3時間10分47秒。
欲を言えば3時間10分を切りたかったところですが、風の強さと調整不足を考えれば悪くないタイムです。10年前の体を散り戻したような感覚があり、愛媛マラソンでのサブ3達成も絵空事ではなくなってきました。
順位はというと、総合は7位で入賞には届きませんでしたが、年代別では2位ということで、南横ウルトラマラソンでの入賞に続いて台湾で3つ目のトロフィーをいただきました。ただ、あと1秒で年代別1位だったのが悔しい。
もっとも、その5秒後にプレッシャーをかけてきた選手がゴールしており、36−45歳の部は6秒以内に3人が入るという大激戦になりました。ラストスパートの判断は間違ってはなかったわけです。ただ、最後に1秒を詰められなかった自分の甘さ。こういうのはきっと経験なのかもしれません。
陸上経験者はこういう競い合いを何度も経験しています。わたしは競い合うような順位で走る経験がほとんどありません。そういう部分の経験不足が最後の粘りという差になって現れるのでしょう。
わたしには勝ちにこだわりきれないという弱さがある。それがわかったのも、花蓮太平洋縦谷マラソンで入賞を意識した走りをしたからです。順位にこだわって勝負を仕掛けたからです。もう1段ステップを上がるためには、とても重要な経験になりました。
勝ち切るためにベストを尽くす。これまでのレースとはまったく違うアプローチで、これはこれでおもしろいものです。勝てたらもっとおもしろいのでしょうが、それは来年に持ち越しです。愛媛マラソンに続き、本気で挑む大会が1つ増えました。
来年は総合で入賞できるように鍛えて、花蓮太平洋縦谷マラソンに戻ってくる。また花蓮に行く理由ができました。挑戦したからこそ知った悔しさ。挑戦したからこそ敗者になれたわけです。この痛みは愛媛マラソンでサブ3を達成するために必要なもの。しっかりと受け入れて前に進みます。