ハーフマラソンは苦手でした。最初に飛ばしすぎて後半失速するか、前半に抑えすぎて体力を残してゴールするかのどちらか。苦手意識もあったので、ハーフマラソンにタイム狙いで出るのは年1回あるかないかというのも、経験値不足による影響を与えていたかもしれません。
ハーフマラソンの自己ベストはなんと12年前に出した記録で、しかも距離が短い疑惑のあった大会。でも東京・赤羽ハーフマラソンで、ようやく苦手意識を克服し、かつての自分を超えていくことができました。
どのようにして12年ぶりに自己ベストを更新したのかをお話しします。
最悪のコンディションでの挑戦
今月からウーバーイーツの配達員を始めたことで、体にかなりの疲労が残っているという自覚はありました。だから金曜日、土曜日と配達をせずに自宅作業。それでも体の重さは抜けず、土曜日の夕方に1kmのタイムトライアルをしてみましたが、3分38秒とこの1年で最悪のタイム。
「これは1時間30分も無理かな」と、最悪の展開も覚悟していました。ハーフマラソンをうまく走れた経験のなさ、昨年も直前に体調を崩したことを思い出し、前日から気持ちはかなり沈んでいました。
それに加えてウーバーイーツの配達の最中に、自転車のサドルで胸骨をぶつけてしまい、くしゃみができないくらいの痛みがあります。過去の経験からすれば、おそらくヒビが入っています。そんな状況でしたので、21kmを走り切れるかという不安もありました。
「こんな状態なら走らなくてもいいのでは?」と弱気になりかけましたが、これもトレーニングの一環だと言い聞かせました。
とはいえできるケアはしておこうと、レビュー用に頂いた2XUのカーブカバーを着用して眠りにつきます。結果的にこれが良かったのかもしれません。寝て起きたときにはふくらはぎのむくみがなく、ついでにしもやけで腫れていた指も、いつもよりも細くなっています。
これなら1時間30分はなんとかなるかもと期待して、東京・赤羽ハーフマラソンの会場に向かいました。
スタート直前の目標は1時間30分切り
スタートの1時間30分前にラン仲間と赤羽駅で合流して、いざ東京・赤羽ハーフマラソンの会場へ。わたしはあまりアップをしっかりするタイプではないので、のんびりと着替えてまずはトイレへ。
東京・赤羽ハーフマラソンはメインの仮設トイレが行列になりますが、周辺にも仮設トイレが設置されて、常設トイレもあるので、あまり待たなくてもいいのが嬉しいところです。その結果、思ったよりも時間が余ってしまったので、少し走ってみることに。
アップだからとさくっと流したつもりが、Garminは3分30秒/kmの表示になります。いやいやそんなわけがないと、何本か走り直してみましたが、簡単にそれくらいのペースにまで上がります。
自分の感覚と出ているスピードの違いに戸惑いながらも、アップで消耗するわけにはいかないので、早めに切り上げてスタート時間を待つことに。
スタート直前にトイレに行きたくなり、ここでラン仲間とはぐれてしまいます。スタートブロックはBで11時スタート。気温は10度以下ですが風もほとんどなく寒さはまったく感じません。なので手袋もせずにスタートブロックに整列しました。
アップで少し速いスピードが出たのもあって、1時間30分は切れると確信。なので4分10〜15秒設定に決めました。あとは走り出してからの微調整。
前半は抑え気味に
河川敷のコースなので、スタートからしばらくは渋滞。これは仕方のないことですし慌ててもいいことは何もないので、まずは無理はせずに周りに合わせます。前が詰まってキロ4分30秒くらいしか出せないけど、足は十分に余裕がある感じ。
1キロ走ってバラけてきたので、ここからはキロ4分から4分5秒設定。それでも余裕がありますが、これ以上は後半の失速が怖いので、速く走りたい気持ちを抑えてのクルージングモード。ただ、5キロを過ぎたあたりから向かい風が気になりはじめます。
体力を消耗したくないという思いもあって、人の後ろに付いて走ったので、5秒/km程度のペースダウン。ただ、往路の向かい風は復路の追い風。ここはガマンと決めて、体力を温存。こういうときに、自分をコントロールできるようになったのは、この数年での大きな変化かもしれません。
もう若い頃のように「行けるだけ行く」なんてことはしません。あれは若さというか経験不足だったのでしょう。マラソンに一か八かなんて選択肢はありません。レースは練習でやってきたことを出すだけでいい。
折り返し手前のアップダウンでギアチェンジ
10キロ走ったところで、目の前には急な上り坂。ここでペースを落としたくないという思いで、強めに踏み込んだ結果、上りなのにペースアップ。ここでようやく、スタートではぐれたラン仲間に追いつきます。心拍数の上りがそれほど大きくなかったので、そのまま下ってからの折り返し。
ここで、キロ4分を切っていましたが、少しの追い風と下流に向かうから下り坂なはずという思い込みを力にして、そのまま走り抜く作戦に移行しました。残り10kmを4分/kmを切って走り続けることができれば、そこそこのタイムになるはずですし、自信にもなります。
折り返して周りのペースが落ちてきたのと、自分がペースアップしたのとで、面白いように周りのランナーを抜いていけます。しかも、ほぼ100%ナイキのシューズという環境で、アディダスのシューズで抜いていく。ちょっと気持ちいい。
マラソンはシューズじゃないのだよと言いたくなりますが、アディダスのアディゼロジャパン5はとても優秀なシューズなので、やっぱりシューズは大事かなと思ったりもします。
ただ、ヴェイパーフライを履いてる人で、わたしに抜かれてしまった人は自分の力を過信して、オーバーペースになっていたわけです。確かにスピードを出せるシューズですが、そのスピードで走り続けられるかどうかは別問題。
「ヴェイパーフライはスピードを出せる」という刷り込みが、オーバーペースであることに気づけなくしているように感じます。
それはともかく、レースで考えなきゃいけないのは自分のこと。他の人がなぜ失速してるかなんて関係ありません。わたしはわたしのレースを走らなくてはいけません。1キロ1キロを積み重ねていくだけですが。
12年ぶりの自己ベスト更新
流石に18キロくらいまでくると、足がやや重たくなってきます。さらに慣れないタイツを着用したことで、お腹が締め付けられて、トイレに駆け込みたくなるほどグルグルし始めます。近くにトイレがなかったのが、ある意味幸いでした。
トイレがないなら、走るしかない。だから、ここからは集中力を高めて、ゴールに向かって走ることだけを考えます。ゾーンに入ってしまえば、他のことなんて気になりません。集中力を極限まで高めて残り2キロ。
なんとなく体感速度が下がってきたように感じたので、意識的にダイナミックなフォームに切り替えます。泣いても笑っても2キロで終わるわけですから。
残り1キロでさらにギアを1段上げてのラストスパート。あわよくばネットタイムで1時間25分を切りたいなと思ったのですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。手元の時計で、1時間25分23秒……23秒が悔やまれますが、これもわたしの実力です。
公式記録は1時間25分54秒。
公式記録で30秒くらい自己ベストを更新しました。それも12年ぶりに。12年前のわたしは、まだどこにでもいるランナーの1人でした。裸足でもなかったし、河童でもありません。初マラソンでサブ3を達成できると信じていた頃の自分。
あの勢いのあった自分をようやく超えることができました。まさか12年もかかるとは思いもしませんでしたし、むしろハーフマラソンだけは、過去の自分を超えるのは無理だと思い込んでいました。
でも、それは自分が作り出した幻覚のようなもの。
正しく積み重ねれば44歳でも成長できる。まだ自分には可能性がある。東京・赤羽ハーフマラソンはそれを感じさせてもらえたレースとなりました。ただ、ここで調子に乗ると愛媛マラソンで大失敗するのは目に見えています。
勝って兜の緒を締めよではないですが、ここからコンディションを高めて、確実にサブ3を取りにいけるように、最高の準備を心がけるとしましょう。