この人にはかなわないなと思う人がわたしの周りにはたくさんいる。そのなかでも三州ツバ吉という男は器の大きさが別格だ。プロレスラーでもある彼は精神的にも肉体的にもタフでいつも挑戦する気持ちを忘れないでいる。その三州ツバ吉企画である「絆の道」が5月3日から5月6日まで行われた。震災のあった福島から東京までの290キロを4日間で走り抜くという内容で、万里の長城マラソンを終えたわたしは最終日から合流することになった。その模様をお伝えしようと思う。
「絆の道」はスタート時には3人だったが、2日目に故障で1人離脱。3日目に1人が加わっている。最終日はわたしを加えてさらに4人が加わり、それとは別に車でのサポートも3日目から始まっている。三州さんの無謀とも思える企画の達成を信じている人たちがそれぞれの形で参加している。
集合は午前1時、埼玉の幸手にある極楽湯。中国から帰国したばかりのわたしはその足で幸手に向かい、極楽湯で仮眠をとってからのスタートになった。ほとんどの人が2〜3時間の仮眠で最終日を迎えている。特にここまで走ってきた2人と前日から加わった1人はスタートしてからしばらくは眠気との戦いになる。わたしも3時間弱の睡眠だったが、なぜか眠さはなく、参加できたことへの高揚感が眠さに優っていた。
その高揚感とは裏腹に足の状態が思わしくない。万里の長城マラソンを走ったことによる筋肉痛がまだ完治しておらず、びっこを引くような走りになってしまう。前々日には11キロを走るのに2時間半もかかったが、それよりはマシとしても1キロ10分程度のペースが限界。ただ、全体のペースもそれと変わらない。さすがに4日目にもなるとそこまで走ってきた230キロの疲労が体を蝕んているようだ。
途中参加組がペースメーカーを務めながら、まずは東京を目指す。ただ、とにかくペースが上がらない。眠さと疲労のダブルパンチ。それでも進むことをやめない強さが三州さんの強さのひとつだと改めて感じさせられる。こういう精神的な強さというのはすぐに真似できるわけではないが、そばにいるだけで周りの人に強さが感染していく。苦しいときもコツコツ継続することの大切さを見せつけられると、ちょっとやそっとでは弱音は吐かなくなる。
東京の手前でサポートメンバーと合流し、少し遅目の朝ごはん。サポートメンバーが加わると賑やかになり、走っているメンバーの気持ちが落ち着くのがわかる。チームというのはフォローしあうことで成立する。ただし、それぞれはフォローしてもらうことを前提とせず、それぞれが自分のベストを尽くす。こういうチームは強い。
疲労や、スケジュールの都合で走るメンバーがサポートにまわったり、途中で抜けざるを得なかったりで走っているメンバーは減っていったが、なんとか第一の目的である日本橋に到着。その数十秒後に東海道方面から東海道往復・4街道制覇をいままさに達成しようとしているおじさんが仲間に向かえられてゴールする瞬間に遭遇した。三州さんたちも大きなことを達成したが、もっとスケールの大きな人がいて、まるで「これで満足するなよ」と神様が言っているようだ。
最終のゴールはお台場・大江戸温泉。温泉はおまけとしてレインボーブリッジと自由の女神が夢と希望の象徴だという三州さんの思いが込められている。ここまで幸手から60キロ。最終日だけの参加組も女の子2人が60キロを走りきったことになる。三州さんの仲間たちといると距離のインフレがすごい。フルマラソンの距離が特別でなくなり、わたしの場合は100キロぐらいならなんとかなるかと思ってしまいウルトラマラソンにエントリーしてしまった。
「絆の道」はほんの小さな企画だけど、そこから与えられるものは大きい。直接的に被災地に何かをしているわけじゃないかもしれないけど、走りきった三州さんともう一人のランナーがわたしたちに与える影響は大きい。そして影響を受けたわたしたちは負けにようにと新しいチャレンジをしたり、日々の生活の中でさらに向上しようとする。それを見た周りの人が変わっていき、さらに周りの人へと伝わっていく。そんなふうにゆっくりとでも震災を受けた人にまで広がっていけばいい。
走ることだけ、それだけでも何かが変わるかもしれない。そう感じさせてくれる「絆の道」。次回はスタートから参加するつもりだ。
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