ここ最近は山に入ることがほとんどなく、旅ランでも海辺を走ってばかりです。ずっと山が好きだと思っていたのですが、どうやら海の景色も好きだということに気づきました。好きでも種類が違うようで、山を走っているときには景色というよりも自分の内側をずっと向いているような感覚があります。
走れば走るだけ研ぎ澄まされていく感覚。これは1人で山に入ったときにだけ得られるもので、私はこれを山の神様との対話だと思っています。自分の内側を向いているのに神様との対話というのは何やら矛盾してそうですが、私にとっての神様は自分の心が生み出すものなので内側を向いて正解です。存在は外にいますけどね。
山を走ると自分のことしか考えなくなります。もちろん走り方とか考える瞬間もありますが、良いことも悪いことも全部忘れてしまいます。誰かのことを思い浮かべることもなく、ただ山を感じながら自分の内側を向く。私にとって山は神聖なところでもあります。夜に山に入らないという話は何度かしましたが、それも山を神聖だと思っているから。
もちろんスピリチュアルな精神など1ミリも持ち合わせていません。あくまでも自分だけでクローズする話であり、ただ山に入るとそんな感じになってしまうので、トレランの大会には出ようとは思いません。勘違いしないで欲しいのは、私が出たいと思わないというだけで、トレランをしている人を否定しているわけではないということです。
むしろトレランを走っている人は自分には無いものを持っているので、ただただすごいなと。私はビビりですのでトレイルランナーのように坂を駆け下りることはできませんし、ヘタれなのでガツガツ上っていくこともできません。何よりも闘争心がほぼゼロなので勝手に走るくらいがちょうどかなと。
ところが海辺を走るとなると、視線が自然に外に向くのもあって、気持ちが開放的になります。これはここ最近の旅ランで海辺を走ってみて気づいたことです。山を走っているときとは別人のようで、また内陸部を走っているときはテンションが低めなのですが、そこから海に出ると一気に足取りも軽くなります。
表情すら明るくなっているような気がします。もしかしたら二重人格なのではないかと思うほど、山の自分と海の自分が違うわけですが、最近は海にいるときの自分のほうが好きだなと。比較するような話ではありませんし、また別のタイミングなら山の自分のほうが好きと言うかもしれません。
今はどことなく開放したい気分なのかもしれません。ただ昔のように自分を前に出していくという感じではなく、これまで抑え込んできた自分を少しずつ開いていく感覚。周りからどう見えているかはわかりませんが、私は自然と自分を抑えるタイプ。これはそう育ったのだから変わることはないでしょう。ただ、それをやり過ぎてしまう。
コロナ禍がそれを加速させた気がします。自分の内側ばかりを見ているから、どんどん自分を閉じてしまう。それがこのタイミングで開いていく。海辺をたくさん走っているからなのか、それとも開いてきたから海辺が好きなのかはわかりません。個人的にはいい傾向にあるかなと。
こういうことを感じられるのもランニングの面白いところ。他の人がどうなのかはわかりませんが、私にとってランニングは自分と向き合うためのツールであり、走ることが生きることみたいなところもあります。きっと10年後には「走ることに大して意味なんてない」とか言ってそうですけど。
ちょっとずつ自分の置かれている環境が変わりつつあります。夏くらいから感じていた違和感というか、大きな変化があるかもしれないという予感。それがランニングにも出ているのかもしれません。きっとどこかのタイミングで潮目が変わったのでしょう。どのタイミングなのかまったく思い当たる節がありませんが。
そして海辺を走りたいと言ったところで、結局走るのは近くの公園をグルグル。何事も思い通りにはいかないものです。今日も思い通りにいかなかったなぁと思いながら寝床に入る。そういうのも悪くないものです。そう考えると、やっぱり根っこは山の人なのかもしれません。どっちでもいいですけどね。
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