トップランナーたちの背中を追い続けるという決意

PB150242

先週の土曜日に出場したチャリティ・スマイル・ランで現役バリバリの実業団ランナーと走ることができた。一緒に走ったのではなく後ろから来てぶち抜かれたのだが、その姿をわたしは一生忘れないと思う。その選手は日立電線所属のケニア出身ランナーのサイラス・ジュイだ。速いとか速くないとかそういう次元ではない。抜かれた瞬間にわたしは一体何が起こったのか理解するのに数秒の時間が必要だった。

チャリティ・スマイル・ランには他にも元実業団の選手だったランナーや、明治学院大学陸上部の現役大学生が参加していた。もちろんこれまでもマラソン大会で大学陸上部のランナーと一緒になったことはある。ただ、普通のマラソン大会ではトップランナーはさっさと前に出ていくのであっという間に見えなくなってしまう。

ところが、今回は周回コースの駅伝なうえにチームメイトがその大学生と同等以上の力を持っているから、わたしが何度も引き離されても襷を受け取るときには常に視界に入ってくる位置でスタートできる。多少の距離はあるが日本のトップクラスのランナーを目で追いながら走れる経験はそうそうあるものではない。

サイラスに2度抜かれ、大学生には何度も引き離され、それ以上のスピードで走るチームメイト。トップランナーたちの姿を2時間見続けたのだから学ぶことは多い。身も蓋もない言い方だが、自分の走りがいかに洗練されていないかがよくわかる。わたしはただ急いで足を動かしているだけだ。それに比べて彼らの走りはまぎれもなくスポーツだ。緻密で無駄のないアスリートの動き。

サイラスにいたっては職人技と言ってよいだろう。足音はほとんどなく、足にはまったく力が入っていないように見える。全身がバネの獣のようでもあり、真円のお碗を創作する陶芸家のようでもある。なにごとも突き詰めていけば、たどり着くところは似ているのかもしれない。

これを才能の差だということは簡単だ。実際持って生まれた能力の差はある。ただ、その差を指をくわえて眺めていられるほどわたしは達観していない。わたしに足りないものは何なのか、それはもうどうしようもない差なのか。天才の前では努力は無と化すのか。それとも努力は才能を覆せるのか。

その差について考え続けなければいけない。自分を平凡だと思うなら才能に挑戦し続けなければいけない。男というのはそういう生き物であるべきだ。わたしの目標はサブスリーだと言い続けてきたが、撤回しよう。彼らの背中に追いつける走りを身につけることがわたしの目標だ。サブスリーなど通過点にすぎない。

わたしもわたしなりの方法で職人のような美しい走りを目指そう。勝ち負けでもタイムでもない、そのもっと先にある世界を見てみたくなった。いまわたしは静かに燃えている。小さくとも間違いなく灯ったこの炎を消すことなく走り続けるのだ。脳裏に焼き付いたサイラスの背中を追い続けよう。諦めさえしなければわたしはまだ速くなれる。

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