結果から言えば5回目の挑戦にして初めてのDNF(Do Not Finish)リタイアとなった。20kmを超えたぐらいから雨が降り、強風が吹き始めたところで体を完全に冷やしてしまい、ボランティアスタッフに回収された。ただ、雨も風もなくても完走はできていなかっただろう。スタートしてわりと早い段階で体に異変が現れていた。
言い訳をするとするならば、前日の睡眠時間が1時間半しかなかった。そしてほとんど前日、前々日とほとんど立ち仕事で事務局としてやるべきことが山のようにあった。トラブルはどんどん発生するし、取りまとめの朱さんも限界を超える多忙でわたしが判断をしなければいけないこともある。食事もろくに摂れなかった。
事務局をしながら走ることがこんなにも難しいとは思っていなかった。走りだせばなんとかなる気がしていたのだが、思い出せばグアムインターナショナルマラソンのときも短い睡眠時間で体が動かなかったのだ。万里の長城マラソンはそんな状態で完走できるほど甘い大会ではない。あらためて自分で証明してしまった。
スタートラインには裸足で立っていた。過去4回中3回裸足に挑戦していずれも途中でシューズを履いている。今回も一応シューズをリュックに背負って走り始める。2kmぐらい走ったところで、体調がすぐれないことに気づく。めまいのような感覚になりいまにも倒れてしまいそうだった。狭い場所で何度かくらっときて落下しそうになった。最悪のコンディション。
万里の長城マラソンにはガレ場が2ヶ所ある。最初のガレ場をほとんど走ることができず、大きくタイムをロスってしまった。それでも遊歩道ゾーンでリカバリーするものの、2ヶ所目のガレ場で完全に完走ペースをオーバーしてしまう。ここでシューズを履けばおそらく間に合っただろう。だがわたしの選んだ選択はシューズを「履かないで走る」だった。
わたしにとって今回が最後の万里の長城マラソンのフルマラソンになる。今年の日本人参加者43人をまとめることで精一杯だったのだが、来年は200人の日本人を万里の長城に連れて行くことを目標にしている。今年でも両手からこぼれ落ちそうになっているのに、その規模になるととてもじゃないが事務局もやりながら自分もフルマラソンは無理なのだ。
これまでは裸足で完走するつもりで結局はシューズを履いていた。負けることから逃げて完走をしていた。完走はしてきたが、わたしの気持ちの中ではしっくりきていない。ならば最後くらいはすべて裸足で走り切ろう。「ちゃんと負けて次に進め」北京行きのフライトで観た映画「アゲイン」の中で出てきたそんな言葉がわたしにシューズを手放させた。
74歳で万里の長城マラソンに挑戦した伝説のランナー武藤さんもわたしの負けを恐れる気持ちを変えてくれた。彼はすでに400回以上のフルマラソンを完走している。そんな彼が「完走できなくてもできるところまで走りたい」とフルマラソンにエントリーしていたのだ。その背中がわたしを初めて「完走できなくても」の境地に立たせてくれた。
レースとしては20km地点で脚はもう完全に死んでいた。雨が降り始めたのを幸いに一度休憩しようと雨宿りをしたのだが、これが逆効果で完全に体が冷えてしまった。このまま雨がやまなければゴール地点に戻ることすら出来ない状態になる。そんなわたしを救ってくれたのはボランティアのスタッフだった。
ボランティアの民族大学の学生さんが、手持ちのお菓子をわたしにくれ、そして一緒に降りようと促してくれた。そしてわたしにレインコートを買ってくれたのだ。「あなたが日本から持ってきたお土産がすごく嬉しかった。だから、わたしたちがあなたをサポートして連れ帰るのは当然だ」と言うのだ。あたりまえだが、中国人にも人情がある。
そこまでしてもらったら、わたしはレースを降りるしかなかった。そしてわたしの最後の万里の長城マラソンは20kmで終了した。それでもわたしの気持ちはすっきりしていた。最後までシューズを履くことなくちゃんと負けたのだ。ほんの少しも悔いはない。これで来年以降、わたしは事務局に徹することができるだろう。走っても一番短い5kmだ。
日本事務局として、きちんとした組織を作り、わたしがいなくとも上手く回るようになるまで万里の長城マラソンのフルマラソンは走らない。日本からくる何百人ものランナーたちが安心して走れる環境をまずは整えたい。そして、ランナーがどれだけ増えようが、一人ひとりと向き合えるアットホームな雰囲気は守り続ける。
いまわたしがやるべきことがはっきりしている。何からすべきかも見えている。それらをきちんと積み重ねて、また万里の長城を駆け抜ける日にむけて鍛え続けよう。そう決意しながら、次々にゴールしてくる世界各国のランナーを出迎えていた。最終のランナーがゴールした瞬間、わたしにとっての万里の長城マラソン2016がスタートの号砲となった。
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