本物の「ランナー」になって目の前にあるワクワクする道を本能のまま走り始めたい

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昨日、石鎚山麓の渓谷に行ったときに石鎚山の登山道を見かけた。ワクワクしている自分がいる。どうやって登ってみようかと考えている自分がいる。これこそが「ランナー」と言うのは大げさだろうか。

マラソン大会やランニングコースを走るだけでも「ランナー」かもしれないが、本質的な本物の「ランナー」はもっと自由で、どこでも走り出したくなるものではないかなと考えるのはわたしだけだろうか。

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目の前に難しそうな道がある。その道を見て、どうすれば美しく走れるかを考える。そしてそのイメージで走り出す。当然1度目はうまくいかない。2度3度と繰り返すうちに走りが美しくなっていく。

そういうことにワクワク出来るかどうか。

わたしも少し前までは「走るのが好きではない」と言っていたのだが、最近は走るのが楽しくて仕方がない。引っ越しをして山を裸足で走るようになったぐらいから変わってきたような気がする。

サブスリーだけが目標だったころは毎日の練習が嫌で嫌で仕方がなかった。どんどん自分を追い込んで、走ることが人生の中心で膝をケガをしたときは悔しさよりも、走れないことに安心している自分がいた。

いま思えばあの時の自分は「ランナー」ではなかったのだろう。それでも速く走れることに楽しさを覚えていたのならそれは「ランナー」と言えるが、速く走れることが嬉しかったわけでもなかった。ただ自分を超えるためだけに速さを求めていたのだ。

これからもサブスリーは目指し続けるし、当然クリアすると信じているが、これまでとはアプローチの仕方がまったく違ってくるだろう。もう自分を追い込むようなことはしない。

追い込みはしないが上手く走れるようになるための工夫はとことんやっていく。体の使い方や気持ちのあり方もどんどん変化させていき、もっともっと体との対話を増やしていくのだろう。

そして走りたい道がそこにあれば躊躇せずに走りだす。できることならば裸足になって走りだす。

走りたいから走る。そういうシンプルさをもっと追求してもいい。走ることにあれこれ理屈をつけてもいいが、本能のあるがままにまかせて走れる自分でもいたい。そしてそういう人が増えていくときっとランニングはもっと楽しくなる。

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