ハセツネ30Kの失格騒動がわたしをトレラン好きにさせた

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昨日書いたハセツネ30Kの記事に思わぬ反響がありました。記事そのものが注目されたというよりは、興味を持った人たちがいてたまたま自分の記事があったというだけ。

ここ最近の日本では「違反」に対して、ものすごく厳しい目が向けられるようになっていますが、トレランの世界でもそれは同じだったようです。「違反するやつ=悪いやつ」この図式は正しいけど、正しくありません。

失格になった女子ランナーの吉住さんは、結局本人のブログで謝罪することになってしまいました。

おちびのブログ:お詫びと御礼

この投稿を見て、正直申し訳ない気持ちになっています。わたしの記事のせいで・・・なんて思い上がったことは言いませんが、火に油を注いだことには違いありません。

ハセツネ30Kで吉住さんの走る姿を見て、本当にトレランが好きなんだなと伝わってくるものがありました。29km地点、男性ランナーでも疲労で苦しい顔をする場所なのに吉住さんはものすごい笑顔で、しかもテクニカルに走ります。

荒れたトレイルの下り坂を笑顔で駆け抜ける姿を見て、こんなすごいランナーがいるのだと度肝を抜かれました。

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吉住さんは「お詫びと御礼」の投稿の前に「ハセツネ30k」という投稿をしています。現在は記事の修正を入れていますが、当初は「運営側もしっかりしてほしい」というニュアンスのコメントがありました。

そのことで吉住さんは批判を浴びてしまったわけですが、わたしはその書き込みで吉住さんのファンになってしまいました。簡単にいえば「余計な一言」だったわけですが、わたしも若いころはよく「余計な一言」しでかしました。

「余計な一言」は若さの象徴でいいじゃない。

別に品行方正な人ばかりがトレランを走っているわけではない。いや、ズルもしないし、愚直に真っ直ぐな人というのにわたしは40年生きてきてほとんど会ったことはありません。

人は成長していくもの。今回の件のようなことが起きて「あぁ失敗したな」を繰り返して成長していく。一番よくないのは「失敗したなぁ」の気付きがないまま間違った方向に進むこと。

今回の件は誰かを責めたり、自分の正しさを主張することに利用するのではなく、それぞれが自分自身に問うための機会になれば、火に油を注いだ者の1人として嬉しく思います。

もっとも吉住さんに対する批判があり、それが彼女の人生にとってプラスになるならいい批判だったと言えるかもしれません。でも過度な批判は何も生み出しません。もう批判は十分です。

運営を批判する、選手を批判する、他にも違反者はいた。そんなことよりも、自分自身は大丈夫?レースにかぎらず、人生でズルいことせずに生きている?自分をごまかして生きてないか?

今回考えなくてはいけないのはそこだと、わたしは思います。

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ハセツネ30Kの今回の騒動で、トレランが嫌いになったり、走るのが嫌になった人もいるかもしれません。あんな記事を書いておいて言うのもなんですが、わたしは議論が白熱していることも含めて、今回の件でトレランが好きになりました。

ドラマチックでいいじゃないですか。違反はもちろんいけないことです。でも違反する人がいてそれが発覚する。違反した人がちょっと反発してしまう。そのすべてがドラマチックで人間味が溢れてて面白い。

吉住さんが立ち直るには少し時間がかかるかもしれませんが、今回の件で沈んだままになるのではなく、またあの最高の笑顔でトレイルを駆け抜けてもらいたい。他のライバルだってきっとそう思っているはず。

反省するところは反省すればいい。自分と向き合いすべて許されたとき、山はまた吉住さんを優しく迎えてくれます。吉住さんは間違いなく山に愛されているランナーの1人ですから。

この記事が吉住さんに届きますように。

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